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-DOMAINE YUMEMI-
夢 見 屋
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INTERNATIONAL vol.4
INTERNATIONAL (7) 坂井琢朗が1996年4月11日にフランスから帰国してからは、あまり焦らないように再就職に向けて情報集をしていた。 ゴールデンウィークが明けてから神戸のホテルを訪れて、チーフソムリエと会い、フランスのワイン産地を巡る旅に協力してくれたことへのお礼を伝えて、ささやかなお土産を渡した。 その時、震災後、ホテルが営業を再開するにあたって新たに就任した料飲部支配人から復職の打診があった。 坂井は復職も考えたが、また神戸に引っ越ししなければならないというリスクを考えると、再雇用の条件が悪すぎるため辞退した。 その後、大阪のシティホテルの求人に応募したが、採用には至っていなかった。 坂井は、現実は厳しいと感じていた。 フランスから帰国してから早1ヶ月が過ぎた1996年5月12日のこと、恩師の武田勇(タケダイサム)から電話がかかってきた。 「その後、どうや? 再就職見つかったか?」 武田は坂井の現状を心配してくれている様子である。 「いくつか応募したんですけど、まだ採用には至ってません」 坂井が現状を伝えると、

夢見操一
12月5日読了時間: 9分
INTERNATIONAL vol.3
INTERNATIONAL (6) 1996年4月12日。聖和会事務所。 白川政次郎(シラカワマサジロウ)は白髪が増えた髪を七三に分けて縁なしの眼鏡をかけている。 今年の10月に75歳になるが、健康で元気なシニア世代を象徴する衰えを感じさせないオーラを放っている。これも自優守護党の総務会長というポジションがそうさせているのだろう。 「今日の本題は、カレデュノフ共和国との国交正常化交渉の件で秘密裏に進めている計略のことなんだが、先月に竹丸先生がお亡くなりになり、一昨年には、相手側の国家主席も亡くなっているいう現状を踏まえて、今後の動きを確認するために集まってもらったんだ」 現在、実質的に頓挫状態になっている国交正常化交渉を進める上で、聖和会が日本の代表団を率いて国交正常化を実現させることを目的として密かに動いていた。 大泉純三(オオイズミジュンゾウ)は、今年の1月に54歳になったばかりで、やや細めで目尻にキレがあり、眼力が強くて、光沢のある黒髪も眉も鼻筋も存在を主張するが、薄めの唇が上手くバランスを取っている色男が、今ここに集まっている聖

夢見操一
12月5日読了時間: 5分
INTERNATIONAL vol.2
(5) ここで、今日(1996年4月12日)に至るまでの経緯や背景に触れることにする。 1987年8月7日、大物政治家の1人が他界した。 その名は、岸川伸佐(キシカワシンスケ)、1955年11月に2つの保守政党が合同して結成された自優守護党の初代幹事長を務めた政治家である。 この新党結成は、同年10月に再編された革新社会党に対抗するためのもので、初代総裁を務めた鳩宗昭一(ハトムネショウイチ)と共に奮闘し、与党の議席が2/3、野党が1/3という政治体制を確立させた。 これが30年以上も続くこととなる。 1959年3月7日、鳩宗が他界した後も岸川は、自優守護党のトップに君臨し続けて、政界だけでなく財界や宗教団体、反社会勢力などにも大きな影響を与えていた。 戦後、岸川はA級戦犯被疑者として笹山良介(ササヤマリョウスケ)らと共に巣鴨プリズンに収監されていたが、1948年12月に不起訴になり釈放された。 釈放後、笹山はモーターボート競争法成立に向けて岸川に協力を求めた。 この時、岸川はまだ公職追放処分中の身でありながら、政党・派閥、各関連省

夢見操一
12月3日読了時間: 14分
INTERNATIONAL vol.1
(1) 長堀通りから北へ4区画半、東西を阪神高速1号環状線に挟まれた長方形のエリアは、お洒落なカフェやレストラン、デザイナーズショップなど個性を売りにする店が集まる人気のスポットとして注目を集めている。 ここは南船場と呼ばれる町で、1984年に堂楽園ホテルが開業した頃は、控えめで奥ゆかしさを感じさせる静かな町だった。 最寄りの駅は、大阪メトロの御堂筋線の心斎橋駅と堺筋線の長堀橋で、長堀通りの南側は、心斎橋筋商店街をはじめ、鰻谷通りなど、多くの人で賑わう繁華街になっていて、このホテルの利用客にとっては、とても便利な場所にあると断言できるだろう。 このホテルの運営管理を行っているのは、株式会社日本都市開発クリエイトで、総工費25億円超を投じて、客室125とレストラン6店舗、大小の宴会を持つホテルとして開業した。 開業した当時の堂楽園ホテルは、シンプルさを前面に打ち出していて、スッキリ感が利用者に好感を与えて、次第にリピーターが増えてゆき、ホテルの業績も右肩上がりを続けていた。 だが、1990年代になると南船場にお洒落なカフェや個性的な飲食

夢見操一
12月3日読了時間: 13分
INTERNATIONAL プロローグ
プロローグ 2025年5月中旬。 紫外線が強まったせいだろうか、坂井琢朗(サカイタクロウ)の顔は小麦色に染まり、露出している肌も同じで、色だけで判断すると、ゴールデンウィークに沖縄でマリンレジャーを愉しんできたように見受けられる。 だが、坂井は沖縄には行っていない。というようりも、ゴールデンウィークも休むことなく作業を続けていて、余暇を楽しむ時間は無かったのだ。その作業とは、ワイン用ブドウの栽培管理である。 今の時期は、新梢が伸びて展葉し、花穂の成長も始まるため、花器の状態をチェックして、花器がつかなかった新梢と花器を摘み取る新梢を剪定し、花器を残した新梢を誘引するという作業を行っていた。 坂井がワイン用ブドウの栽培を始めてからもうすぐ丸5年を迎えようとしていた。 ブドウの栽培を始めた時は、ブドウの栽培管理のことをまったく知らないド素人だった坂井であるが、今では様々な作業にも慣れて、日々の作業に余裕さえ感じていた。 坂井がワイン用ブドウを栽培しようと思った切っ掛けは、学生のアルバイト時代から長きに渡り、ホテル業界の仕事に携わってきた

夢見操一
12月3日読了時間: 12分


INTERNATIONAL 序文
序文 「まさか、この国に、こんなとんでもないホテルが存在していたとは・・・」 1996年に発表された日本のベストホテルで7位にランクされた高級ホテルのことである。 私は1996年から1997年にかけて、このホテルに在籍していた。 その当時、私はこのホテルで自身に課せられた使命を全うしようと励んでいた。 だが、ある日。統括部長からこのホテルの裏の顔のことを知らされた。 私は自分の耳を疑った。 このホテルの従業員は、裏の顔のことを知ってるのだろうか? ごく一部の幹部だけが知っていて、他の従業員は知らずに働いているのか? それとも、裏の顏のことを知っていて、あえて口外せずに働き続けているとでも・・・ 「こんなことありえない!!!」 私の中で疑問だけが膨らんでいった。 私の中に棲みついた裏の顔が、私の意識を変えていった。 ベストホテルで7位にランクされたホテルに期待してやって来るお客様とは別に、裏の顔の繋がりでやって来る者たちがいることを知った。 さらに、私は裏の顔のことを知らいないふりをして、秘密裏に裏の顔をのことを知っている従

夢見操一
12月3日読了時間: 2分
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