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-DOMAINE YUMEMI-
夢 見 屋
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INTERNATIONAL vol.8
INTERNATIONAL (11) 1996年5月31日午後。 ランチタイムが終了し、鉄板焼きは静まり返っていた。 窪田誠司と篠崎啓二は休憩に出ていて、加藤光輝が厨房で食材の仕込みをしている。 ランチの片づけを終えた坂井琢朗は、ホテルの3階にある営業企画部へ新しいワインリストを受け取りに行った。 インターナショナル堂楽園ホテルの3階は、宴会場とメイン厨房、宴会サービス課でほぼ占められている。 そんな3階の片隅に営業企画部がある。 窓が多くて明るい部屋に入ると、ホテルの総合パンフレット、期間限定プランの案内、ブライダル、パーティー、講演会、ミーティングなどの宴会場関係の案内、レストランの案内などが一式並んでいる。 坂井はその前を通り過ぎて、稲田有里子(イナダユリコ)のデスクへ近づいた。 「坂井さん、なんとか間に合いましたね」 稲田がホッとした表情で言う。 稲田は34歳、1984年に開業したこのホテルの一期生で、営業企画部に配属されてからずっと営業企画部で勤務しているという。 「ありがとうございます。急なお願いで、すみませんでし

夢見操一
2025年12月11日読了時間: 8分


INTERNATIONAL vol.7
INTERNATIONAL (10) 1996年5月31日。 下野投利(シモツケトウリ)銀行の大阪支店の特別膣に案内された竹井剛三は、赤茶色のレザーカバーに包まれたソファーに腰を沈めた。 余計な装飾をしていないシンプルな部屋は、とても『特別室』とは言い難い殺風景な空間を描いていた。 竹井は株式会社日本都市開発クリエイトの社長で、インターナショナル堂楽園ホテルを経営している。 取引をしているメインバンクは下野投利銀行で、頭取の深江寿夫(フカエヒサオ)とは、深江が大阪支店長だった頃から親しい間柄である。 「竹井社長、お待たせしたしました」 支店長の榊原邦憲(サカキバラクニノリ)が竹井に挨拶して、同じようにソファーに腰を沈めた。 「支店長。なんや急に、ここの雰囲気が変わってしもうたね」 竹井がローテーブルに両肘をつけて両手を組み、前のめりで榊原を凝視して、 「例の件でお宅も大変そうやな」と口火を切った。 榊原は怯むことなく、「いえ、今まで通り、頭取がなんとかするでしょ」と、竹井の心配を払拭する。 例の件とは、下野投利銀行が創業して以来

夢見操一
2025年12月10日読了時間: 10分


INTERNATIONAL vol.6
INTERNATIONAL (9) 1996年5月31日。 坂井琢朗は地下鉄御堂筋線の心斎橋駅からインターナショナル堂楽園ホテルへ向かっていた。 去る5月13日、坂井は恩師の武田勇にホテルの見学という名目で誘き出され、有無も言わせない強引なやり方で、インターナショナル堂楽園ホテルに再就職することになった。 再就職の目処が立っていない坂井の弱みに巧くつけこんだ計略にハマってしまった。 坂井はそう思っているが、武田が本心を明かすことはないだろう。 だが、今日ここに至っては、坂井が武田を憎むという気持ちは消えていた。 あれから1週間後の5月20日、坂井は正式に入社した。 坂井は「すぐにでも来て欲しい」と話す人事担当の加藤夏子の依頼に応えたのだ。 慢性的な人材不足。 これが1994年にリニューアルオープンしたこのホテルが抱えている問題だった。 社長の竹井剛三(タケイゴウゾウ)と常務取締役の谷崎丈二(タニザキジョウジ)は、長く親しい関係にあった笹山良介の秘書を通じて、ホテル業界から引退している元総支配人と知り合った。その元総支配人は、

夢見操一
2025年12月9日読了時間: 8分
INTERNATIONAL vol.5
INTERNATIONAL (8) 1996年5月13日。天候は晴れ、南よりの風に雲が流されていて、時折、陽射しが途切れることもあるが、過ごしやすい天候だった。 坂井琢朗は地下鉄御堂筋線の心斎橋駅から地上に上がり、心斎橋筋北商店街に入った。 濃紺のスーツと白のワイシャツ、ブルーのネクタイ、黒の革靴という姿で、髪は六四に分けてバックに軽く流す感じで、襟足を軽く刈り上げている。 坂井がホテルで勤務する時のヘアスタイルである。 坂井が南船場に来るのはこれが初めてだった。 これからインターナショナル堂楽園ホテルで恩師の武田勇と会う約束をしている。 手にぶら下げている黒のハンドバッグの中に履歴書を5セット入れている。 武田に履歴書を預けて、あわよくば、どこか大阪のホテルを紹介してもらえたらラッキーかなと、ささやかな期待を抱いて持ってきたのである。 坂井はインターナショナル堂楽園ホテルで働こうなんてことは微塵も考えていない。 あの1991年4月の武田の浮気疑惑で、武田に嘘の証言をさせられて、奥様を傷つけてしまっただけでなく、奥様に助けても

夢見操一
2025年12月9日読了時間: 9分
INTERNATIONAL vol.4
INTERNATIONAL (7) 坂井琢朗が1996年4月11日にフランスから帰国してからは、あまり焦らないように再就職に向けて情報集をしていた。 ゴールデンウィークが明けてから神戸のホテルを訪れて、チーフソムリエと会い、フランスのワイン産地を巡る旅に協力してくれたことへのお礼を伝えて、ささやかなお土産を渡した。 その時、震災後、ホテルが営業を再開するにあたって新たに就任した料飲部支配人から復職の打診があった。 坂井は復職も考えたが、また神戸に引っ越ししなければならないというリスクを考えると、再雇用の条件が悪すぎるため辞退した。 その後、大阪のシティホテルの求人に応募したが、採用には至っていなかった。 坂井は、現実は厳しいと感じていた。 フランスから帰国してから早1ヶ月が過ぎた1996年5月12日のこと、恩師の武田勇(タケダイサム)から電話がかかってきた。 「その後、どうや? 再就職見つかったか?」 武田は坂井の現状を心配してくれている様子である。 「いくつか応募したんですけど、まだ採用には至ってません」 坂井が現状を伝えると、

夢見操一
2025年12月5日読了時間: 9分
INTERNATIONAL vol.3
INTERNATIONAL (6) 1996年4月12日。聖和会事務所。 白川政次郎(シラカワマサジロウ)は白髪が増えた髪を七三に分けて縁なしの眼鏡をかけている。 今年の10月に75歳になるが、健康で元気なシニア世代を象徴する衰えを感じさせないオーラを放っている。これも自優守護党の総務会長というポジションがそうさせているのだろう。 「今日の本題は、カレデュノフ共和国との国交正常化交渉の件で秘密裏に進めている計略のことなんだが、先月に竹丸先生がお亡くなりになり、一昨年には、相手側の国家主席も亡くなっているいう現状を踏まえて、今後の動きを確認するために集まってもらったんだ」 現在、実質的に頓挫状態になっている国交正常化交渉を進める上で、聖和会が日本の代表団を率いて国交正常化を実現させることを目的として密かに動いていた。 大泉純三(オオイズミジュンゾウ)は、今年の1月に54歳になったばかりで、やや細めで目尻にキレがあり、眼力が強くて、光沢のある黒髪も眉も鼻筋も存在を主張するが、薄めの唇が上手くバランスを取っている色男が、今ここに集まっている聖

夢見操一
2025年12月5日読了時間: 5分
INTERNATIONAL vol.2
(5) ここで、今日(1996年4月12日)に至るまでの経緯や背景に触れることにする。 1987年8月7日、大物政治家の1人が他界した。 その名は、岸川伸佐(キシカワシンスケ)、1955年11月に2つの保守政党が合同して結成された自優守護党の初代幹事長を務めた政治家である。 この新党結成は、同年10月に再編された革新社会党に対抗するためのもので、初代総裁を務めた鳩宗昭一(ハトムネショウイチ)と共に奮闘し、与党の議席が2/3、野党が1/3という政治体制を確立させた。 これが30年以上も続くこととなる。 1959年3月7日、鳩宗が他界した後も岸川は、自優守護党のトップに君臨し続けて、政界だけでなく財界や宗教団体、反社会勢力などにも大きな影響を与えていた。 戦後、岸川はA級戦犯被疑者として笹山良介(ササヤマリョウスケ)らと共に巣鴨プリズンに収監されていたが、1948年12月に不起訴になり釈放された。 釈放後、笹山はモーターボート競争法成立に向けて岸川に協力を求めた。 この時、岸川はまだ公職追放処分中の身でありながら、政党・派閥、各関連省

夢見操一
2025年12月3日読了時間: 14分
INTERNATIONAL vol.1
(1) 長堀通りから北へ4区画半、東西を阪神高速1号環状線に挟まれた長方形のエリアは、お洒落なカフェやレストラン、デザイナーズショップなど個性を売りにする店が集まる人気のスポットとして注目を集めている。 ここは南船場と呼ばれる町で、1984年に堂楽園ホテルが開業した頃は、控えめで奥ゆかしさを感じさせる静かな町だった。 最寄りの駅は、大阪メトロの御堂筋線の心斎橋駅と堺筋線の長堀橋で、長堀通りの南側は、心斎橋筋商店街をはじめ、鰻谷通りなど、多くの人で賑わう繁華街になっていて、このホテルの利用客にとっては、とても便利な場所にあると断言できるだろう。 このホテルの運営管理を行っているのは、株式会社日本都市開発クリエイトで、総工費25億円超を投じて、客室125とレストラン6店舗、大小の宴会を持つホテルとして開業した。 開業した当時の堂楽園ホテルは、シンプルさを前面に打ち出していて、スッキリ感が利用者に好感を与えて、次第にリピーターが増えてゆき、ホテルの業績も右肩上がりを続けていた。 だが、1990年代になると南船場にお洒落なカフェや個性的な飲食

夢見操一
2025年12月3日読了時間: 13分
INTERNATIONAL プロローグ
プロローグ 2025年5月中旬。 紫外線が強まったせいだろうか、坂井琢朗(サカイタクロウ)の顔は小麦色に染まり、露出している肌も同じで、色だけで判断すると、ゴールデンウィークに沖縄でマリンレジャーを愉しんできたように見受けられる。 だが、坂井は沖縄には行っていない。というようりも、ゴールデンウィークも休むことなく作業を続けていて、余暇を楽しむ時間は無かったのだ。その作業とは、ワイン用ブドウの栽培管理である。 今の時期は、新梢が伸びて展葉し、花穂の成長も始まるため、花器の状態をチェックして、花器がつかなかった新梢と花器を摘み取る新梢を剪定し、花器を残した新梢を誘引するという作業を行っていた。 坂井がワイン用ブドウの栽培を始めてからもうすぐ丸5年を迎えようとしていた。 ブドウの栽培を始めた時は、ブドウの栽培管理のことをまったく知らないド素人だった坂井であるが、今では様々な作業にも慣れて、日々の作業に余裕さえ感じていた。 坂井がワイン用ブドウを栽培しようと思った切っ掛けは、学生のアルバイト時代から長きに渡り、ホテル業界の仕事に携わってきた

夢見操一
2025年12月3日読了時間: 12分


INTERNATIONAL 序文
序文 「まさか、この国に、こんなとんでもないホテルが存在していたとは・・・」 1996年に発表された日本のベストホテルで7位にランクされた高級ホテルのことである。 私は1996年から1997年にかけて、このホテルに在籍していた。 その当時、私はこのホテルで自身に課せられた使命を全うしようと励んでいた。 だが、ある日。統括部長からこのホテルの裏の顔のことを知らされた。 私は自分の耳を疑った。 このホテルの従業員は、裏の顔のことを知ってるのだろうか? ごく一部の幹部だけが知っていて、他の従業員は知らずに働いているのか? それとも、裏の顏のことを知っていて、あえて口外せずに働き続けているとでも・・・ 「こんなことありえない!!!」 私の中で疑問だけが膨らんでいった。 私の中に棲みついた裏の顔が、私の意識を変えていった。 ベストホテルで7位にランクされたホテルに期待してやって来るお客様とは別に、裏の顔の繋がりでやって来る者たちがいることを知った。 さらに、私は裏の顔のことを知らいないふりをして、秘密裏に裏の顔をのことを知っている従

夢見操一
2025年12月3日読了時間: 2分
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