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INTERNATIONAL vol.4

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月5日
  • 読了時間: 9分

更新日:12月9日

INTERNATIONAL


(7)


 坂井琢朗が1996年4月11日にフランスから帰国してからは、あまり焦らないように再就職に向けて情報集をしていた。

 ゴールデンウィークが明けてから神戸のホテルを訪れて、チーフソムリエと会い、フランスのワイン産地を巡る旅に協力してくれたことへのお礼を伝えて、ささやかなお土産を渡した。

 その時、震災後、ホテルが営業を再開するにあたって新たに就任した料飲部支配人から復職の打診があった。

 坂井は復職も考えたが、また神戸に引っ越ししなければならないというリスクを考えると、再雇用の条件が悪すぎるため辞退した。

 その後、大阪のシティホテルの求人に応募したが、採用には至っていなかった。

坂井は、現実は厳しいと感じていた。


 フランスから帰国してから早1ヶ月が過ぎた1996年5月12日のこと、恩師の武田勇(タケダイサム)から電話がかかってきた。

「その後、どうや? 再就職見つかったか?」

 武田は坂井の現状を心配してくれている様子である。

「いくつか応募したんですけど、まだ採用には至ってません」

 坂井が現状を伝えると、

「まあ、焦ることはないだろう。良かったらウチのホテルを見学してみるか?なかなか立派なホテルやで」と坂井を誘う。

「ああ、そうですね。なんかリニューアルして凄く良くなったと聞きましたけど」

 坂井は風の噂を聞いたことがある程度で、特に興味を持っていなかった。

「明日の午後1時でどうや?」

 武田は一方的に段取りを決める。

「分かりました。午後1時に伺います」

 坂井は武田に従うしかなかった。


 坂井が大学生だった頃、大阪のホテルでアルバイトをしていた時に武田と出会った。

 大阪の御三家と呼ばれるホテルの1つで、当時、多くの客で賑わっていた。

 最初、坂井は皿洗いをしていた。レストランと宴会場を掛け持ちしていて、週末の吉日は結婚披露宴で忙しい宴会場で皿を洗い、平日は、日本料理、鉄板焼き、フランス料理をその時々の忙しさに応じて移動しながら皿を洗っていた。

 8ヶ月ほど皿洗いをした後、スカイラウンジのウェイターとしてサービス部門でアルバイトをすることになった。

 内容は、厨房からスカイラウンジまで料理を運ぶのととバーカウンター内でグラスやバーツールなどを洗うという役割だった。

 そのスカイラウンジで当時マネージャーをしていた武田と出会った。

 武田はアルバイトの坂井に基本知識やサービスの基本を教えただけでなく、業務終了後に食事に連れて行ってくれたり、ホテルのエピソードなども話してくれた。

 坂井は武田を師と仰ぐようになり、長くこのアルバイトを続けた。

 そして、1988年1月、このホテルに動きがあった。

 総支配人の山地浩太郎(ヤマヂコウタロウ)が今年の5月に開業を予定している静岡のシティホテルの専務取締役総支配人として引き抜かれた。

 これを受けて、ホテルの正社員たちの間で、様々な憶測が飛び交うようになり、静岡のホテルに引き抜かれるのは誰? 自らアプローチするヤツもいるだろ?声が掛かっても静岡にはようついていかんわ! 自分はお呼びじゃないから関係ないし!

 ホテル全体が落ち着かない空気に包まれていた。

 そして、2月になり、静岡のシティホテルに移籍するメンバーが明らかにされた。

 副総料理長が引き抜かれて総料理長に格上げとなり、副総料理長の直属の部下たちがこぞって静岡のシティホテルに移籍することになった。

 宿泊部では、課長が1人だけで移籍し、宿泊部部長に格上げとなった。

 さらに、スカイラウンジ・マネージャーの武田勇が課長待遇で引き抜かれ、武田の直属の部下で主任の高島徹(タカシマトオル)が係長に格上げ、バーテンダーの滝澤和人とサービススタッフの河口若菜(カワグチワカナ)が武田についていくことになった。

 やはり大阪を離れたくないという多くの正社員が辞退し、調理部以外の部門ではそれほど影響が出ないレベルで落ち着いていた。

 坂井は慕っていた武田がいなくなることに不安と寂しさを感じていた。

 そこへ武田がやってきて、周囲に視線を送りながら、小声で坂井に話しかけた。

「静岡についてくる気はあるか? もしついてくるんやったら、おまえを正社員として、特別枠でメンバーにねじ込んでやる」

 坂井は武田の言葉に感動して、「いきます!!!」と即答した。

 これで坂井の就職先が静岡のシティホテルに決まったのだった。


 静岡のシティホテルに就職した坂井は、メンバーズクラブに配属された。係長の高島徹がメンバーズクラブのオペレーションの責任者となり、河口若菜がエントランスにあるインフォメーションカウンターの責任者となり、坂井はサービススタッフとして、メンバーズラウンジとカラオケルーム、会議室と遊戯室(3室)での会員のお客様と宿泊客の対応を担当することになった。

 他に、愛知から移籍してきたバーテンダーが2人、あとは新入社員ばかりだった。

 大阪メンバーのバーテンダーの滝澤和人はメインバーの責任者として、新入社員数名を教育しながらバーの運営を行うことになった。

 開業前の準備の段階から開業した後の1年ほどは、元号が変わった影響もあり、何かと落ち着かない状況が続いていた。

 だが、それも時間とともに解消されて、いつの間にか「ゆる~い空気」がホテル全体に広がっていくようにさえ感じられた。


 月日が流れた1991年4月、坂井が静岡のシティホテルに就職してから4年目に入った頃、坂井にショックを与える出来事が発生した。

 その日、武田の奥様が急遽静岡に来ることになり、武田は休暇を取っていた。

 坂井は早番勤務で、あと1時間ほどで勤務終了というタイミングで武田から職場に電話がかかってきた。

「おまえ、今日早番だったな。この後、何か予定でもあるんか?」と訊かれて、

坂井は「いえ何もありません。そのまま帰ります」と答えた。

「だったら、ウチにけえへんか? 今、家内が来とるんや」と武田が言う。

「いいんですか? 夫婦水入らずの方がいいでしょう?」と坂井が気遣った。

「かまわへんよ。前に、おまえも家内に会ったことあるやろ」と武田が積極的に誘う。

「はい。ご自宅にお招きいただいと時に」と坂井は武田の自宅を思い浮かべた。

「おまえが来てくれたら、家内も喜ぶ。待っとるからな」と武田は電話を切った。

 静岡のシティホテルが大阪や名古屋などから移籍して来た社員などの社宅として、公営団地を借り上げてくれていた。

 坂井もその団地に住んでいて、しかも武田と同じ棟だった。

 武田は単身赴任で、大阪メンバーの多くは単身赴任か独身者だった。

 坂井は自分の部屋には入らず、そのまま武田の部屋を訪ねた。

「家内も喜ぶ」は嘘だった・・・

 武田の奥様が仁王立ち、ローテーブルを挟んで、武田が正座させられていた。

 なぜか、坂井も正座させられているこの状況が理解できなかった。

 奥様の手には長い髪の毛、しかも明るいブラウン、女性の髪の毛だと思えた。

「あれは、おまえの彼女の髪の毛やろ」武田が平然と言う。

「えっ」坂井は思わず声をあげてしまった。

 ーーこれって浮気ってこと・・・坂井は嫌な空気を感じていた。

 実は、武田は随分前から愛人をつくっていた。

 シティホテルからの帰り道にある小料理屋の女将で娘と2人で店を営んでいる。

 武田がこの店の常連になり、坂井も武田に連れられて、よく利用していた。

 いつの間にか、武田と女将ができていて、女将の娘も武田を慕うようになっていた。

 坂井はこの関係を武田から聞いて知っていたが、他言は一切していない。

 武田は女将を団地に招き入れることは絶対にしない。

 多くの社員がこの団地に住んでいて、女性を連れ込んだら直ぐにバレるからだ。

 坂井は、この現状がまったく理解できていないが、長い髪の毛が女将の髪の毛ではないことぐらい分かる。

 今の坂井には彼女なんていない。絶賛彼女募集中なのだ。

 では、誰の髪の毛なんだ? と考えている場合ではなかった。

 とにかく坂井は「あ、はい、そうです」と答えた。

「この前、彼女とウチに来て、一緒に食事したよな」武田が誘導する。

「はい、3人で」坂井は3人だったことを強調して、武田の話に合わせた。

「じゃ、3人で何を食べたの?」という奥様の視線が怖い。

 武田は「な」、坂井は「や」、この頭文字の違いで言葉に詰まる。

 坂井は慌てて「鍋です、寄せ鍋。何と言っても課長は鍋奉行ですから」と誤魔化した。

「ふ~ん、それで?」奥様の視線がさらに厳しさを増した。

「食事の後、片付けて帰りました」坂井はこれが普通の流れだろうと思った。

「彼女だけ残して帰ったの?」奥様の尋問ともとれる質問が続く。

「いえいえ、一緒に帰りました」坂井は反射的に首を振ってキッパリと答えた。

「そう。この髪の毛、どこにあったと思う?」奥様の左右の手に1本ずつ髪の毛がある。

「その辺に落ちてたんじゃないですか」坂井の脳裏にこの後の修羅場が浮かんでいた。

「こっちの髪の毛はね・・・」奥様が右手の髪の毛を前に差し出した。

 坂井は奥様の右手の髪の毛を凝視した。明るいブラウンの髪の毛が何を語るのか?

「ベッドの枕の傍よ」奥様の声のトーンが低くなった。怒り爆発寸前の御様子。

 ーーおい、絶対ヤってるだろ!!! 坂井は身体を硬直させた。

「で、こっちはね・・・」奥様が左手の髪の毛を前に差し出した。

 坂井は目を逸らしたいのだが、奥様の眼力が強すぎて動けなかった。

「バスルーム・・・」奥様の身体が震えていた。

 ーー確信犯じゃん!!! 坂井はポカンと口を開けたまま「終わった」と覚悟した。

 明るいブラウンの髪の毛を自分の彼女のものだと証言し、武田と坂井と彼女の3人で寄せ鍋を食べたと証言し、さらに、彼女と一緒に帰ったと嘘の証言しているのだ。

 坂井は、身体を震わせて今にも怒りを爆発させようとしている奥様を見て、

 ーーこんな状況でも課長を庇わなければならないのだろうか・・・

 これではあまりにも奥様が可哀想すぎると思い辛くなった。

 坂井の気持ちは武田から奥様へ向いていた。

 だが、この切迫した状況で、武田の本命の愛人のことまで暴露したら、奥様が壊れてしまうと思うと、どうしたらいいのか分からなかった。

 坂井は奥様の目力の強さに圧倒されて目を逸らすことさえできなかった。

 沈黙が続いていた。武田は俯いたまま何も言わない。

 突如、奥様は両手に持ていた髪の毛を投げ捨てて、俯いている武田を睨むと、

部屋を出てキッチンへ行った。

 その直後、もの凄い破壊音が響き渡った。奥様が何かに怒りをぶつけたようだ。

 この瞬間、坂井は悟った。

 奥様は部下に嘘の証言を強要してこの問題を抑え込もうとしている武田から坂井を救ってくれたんだと。

 この日、坂井は決めた。この先、武田の下で仕事はできない!!!と・・・

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