top of page

INTERNATIONAL vol.3

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月5日
  • 読了時間: 5分

更新日:12月9日

INTERNATIONAL


(6)


 1996年4月12日。聖和会事務所。

 白川政次郎(シラカワマサジロウ)は白髪が増えた髪を七三に分けて縁なしの眼鏡をかけている。

 今年の10月に75歳になるが、健康で元気なシニア世代を象徴する衰えを感じさせないオーラを放っている。これも自優守護党の総務会長というポジションがそうさせているのだろう。

「今日の本題は、カレデュノフ共和国との国交正常化交渉の件で秘密裏に進めている計略のことなんだが、先月に竹丸先生がお亡くなりになり、一昨年には、相手側の国家主席も亡くなっているいう現状を踏まえて、今後の動きを確認するために集まってもらったんだ」

 現在、実質的に頓挫状態になっている国交正常化交渉を進める上で、聖和会が日本の代表団を率いて国交正常化を実現させることを目的として密かに動いていた。

 大泉純三(オオイズミジュンゾウ)は、今年の1月に54歳になったばかりで、やや細めで目尻にキレがあり、眼力が強くて、光沢のある黒髪も眉も鼻筋も存在を主張するが、薄めの唇が上手くバランスを取っている色男が、今ここに集まっている聖和会のメンバーの中で、最も充実した日々を送っているように感じられる。

 大泉には、政治家として果たすべき大義に向かって突き進む覚悟があり、どんな高い壁であろうと乗り越えて打ち破った先にある成功が見えているようだ。

「この計略を成功させるには、新居昇明(アライショウメイ)を取り込む必要があると考えておりますが、いかがでしょう?」

 大泉は、白川、八塚治(ヤツヅカオサム)、小森光喜(コモリミツヨシ)、藤原順平(フジワラジュンペイ)、田辺晋二(タナベシンジ)に視線を送る。

「おい、ヤツは渡貫派だろ。どうやって取り込む?」

 八塚が前のめりで訊ねた。

「会長の渡貫先生は昨年他界したので、なんとかなるでしょ」

 大泉は平然と答えた。


 大泉純三が1972年12月の衆議院議員総選挙で初当選を果たし翌年、1973年4月に、新居昇明が大蔵省に入庁した。

 新居の両親はカレエヌ半島を支配していたコレオンピア帝国が日本国に併合されたのを機に日本国の大阪へ移住した。その後、1948年1月に新居昇明が誕生し、16歳の時に日本に帰化していた。

 東京大学卒の新居は主計局総務課に配属され、直ぐさま頭角を現し、翌年1974年には大蔵大臣官房企画課に転属された。当時の大蔵大臣は保志田武夫で、秘書時代から保志田を師と仰ぎ、行動を共にしていた大泉は、この時点で新居と出会っていた。

 新居は大泉に似ている。顔が似ているということではない。目の奥に秘めた野望とそれを達成し得るだけの能力を身に付けている。そう遠くない未来で、新居は官僚を動かし、政界に大きな影響を与える存在なるだろう。

 大泉は新居を自身と重ね合わせて、また新たな怪物が現れたなと感じていた。


 現在、新居は、自優守護党を離党して新党を結成した大澤一郎の下で政治活動を続けている。新居自身が大澤に賛同しているわけではない。

 1976年12月に発足した保志田武夫内閣で厚生大臣に任命された渡貫通春に医療関連の税制のレクチャーをしたのが新居だった。その際に、渡貫が新居の能力の高さを認め、1980年7月に発足した鈴木昌幸内閣で大蔵大臣に任命された渡貫が大蔵政務秘書官に新居を抜擢した。

 これを機に、新居は政界へ進出することを決めて、1986年の衆議院議員総選挙で初当選し、渡貫の腹心として渡貫を支えるようになった。

 だが、1994年4月、大澤が渡貫に自優守護党を離党条件で次期内閣総理大臣就任を打診したことを受けて、新居たち渡辺会メンバーが先に自優守護党を離党して、新党を結成し、渡貫の合流を待った。だが、自優守護党内での話し合いにより、渡貫が離党を断念したため、新居たちは仕方なく大澤の新党に合流したのだった。


 大泉はそんな新居の経緯を思い出しながら、

「元々、新居は大澤先生とは相容れない信条の持ち主なので、そのうち大澤先生の下から離れるでしょう」と予測していた。

「確かにあれは勇み足だった。でも、新居が自優守護党に復党するだろうか?」

 八塚が首を傾げる。

「ですから、誰か新居を上手くウチに引っ張れる巧者がいれば助かりますが・・・」

 大泉は参加者の顔を見渡した。

「それなら亀田君にやってもらうってのはどうだろう?」

 白川が亀田静夫(カメダシズオ)に白羽の矢を立てようとしたが、

「いや、それはどうかと。警察官僚あがりの政治家はどうも信じられん」

 小森が間髪入れずに疑問を投げかけた。

 亀田は警察庁を退官した後、1979年の衆議院議員総選挙で初当選し聖和会に属した。

 だが、亀田は荒川グループにも属していた。

 すなわち2つの派閥を掛け持ちしていたことで、聖和会のメンバーの中には、亀田を「コウモリ」と称して距離を置く者もいた。

 現在、荒川グループは聖和会に合流しているとは言え、亀田への不信感は払拭できていなかった。

「まあまあ、小森君。その話は置いていて、誰が新居を引っぱったとしても、その後、新居との間で何らかのトラブルが発生した時、誰が新居を引っぱったんだ!!!とやり玉にされるだろ。こうことは、あまのじゃくにやらせればいいんだよ」

 白川は口元に笑みを浮かべて小森を諭した。

「そういうことですか。それなら納得できますわ。総務会長も策士ですな」

 小森は矛を収めて、笑いを抑えるのに必死のようだ。

 かくして聖和会の密談は滞りなく進むのであった。

コメント


Copyrigth © 2013 YUMEMI-ya All Rights Reserved.

bottom of page