INTERNATIONAL vol.9
- 夢見操一

- 12月12日
- 読了時間: 8分
INTERNATIONAL
(13)
1996年5月31日夜(つづき)
滝澤がバーへ戻った後、坂井は辻井元高と窪田誠司のやりとりを覗っていた。
先生と呼ばれる辻井が何者なのか、未だに不明で、坂井は早く知りたい気持ちに駆られていた。
そこへ、日本料理の女将、沢口多恵子が入って来て、
「先生、ウチに内緒でしれっと肉食べとるとは、お人が悪いでんな」と声をかけた。
「おっと、見つかってしもたか・・・」辻井は顔をしかめて、
「今夜こそ、落ち着いて極上の肉を味わおう思てたのに、ぶち壊しや!!!」と断罪した。
「なにをいうてまんねん。首をなご~してウチが来るんを待ってたくせに」
沢口は怯むことなく「正直にいうたらどうや、ウチに逢いたかったって!!!」と反撃した。
「そんなアホなこと、口が裂けてもいわんわい!!!」辻井も応戦した。
辻井はグレーのスーツ姿でノーネクタイ、恰幅が良くて、ふっくらした顔立ち、髪はオールバック、やや目と眉が垂れ気味で、一見、愛嬌が良い紳士のようである。
沢口はワインレッドの着物と薄いピンクの袋帯、どちらも垂れざくらが奥ゆかしくデザインされている。坂井より少し背が高く、面長の顔立ちでシニヨンヘアがよく似合っている。今年、50歳になるというが、若さを保つ努力の賜なのだろうか、沢口は女将としての魅力を存分に発揮している。
坂井は、そんな二人のやりとりに驚き、ポカンと口を開けたまま、
ーーここって高級ホテル・・・だよね? と戸惑うばかりで、映画かドラマのシーンを見ているような錯覚に包まれていた。
一方、窪田は特に気にしている様子もなく米沢牛を丁寧に焼いている。
これは毎度のことで、二人のお約束とも言えるやりとりだが、初めてこれを目の当たりにした坂井にとっては、驚くべき光景だったのだ。
沢口は、そんな状態の坂井をチラッと見て、「先生が強情を張るさかいウチの新しいエースが固まってしもうたわ」と言った。
辻井は上半身を捻って坂井を見た。
ーーえっ! こっちに振るの? しかもエースって、ハードルあげ過ぎ・・・
坂井は思わず仰け反った。
「坂井君。ちょっと」沢口が左手で坂井を招く仕草をして促し、坂井は引き寄せられるように近寄った。
「先生、こちらは新しいスタッフの坂井君。ウチに来てから今日で12日目やったね」
沢口が辻井に坂井を紹介して、「こちらは国会議員の辻井先生」と坂井に紹介し、
「見てくれはちょっとやけど、これでも通商産業政務次官やで」と辻井の素性を話した。
辻井は「ちょう待て。見てくれは関係ないやろ」と沢口にくってかかる。
「いや、見てくれは大事やで。ほら、坂井君はさわやかやろ」と辻井と坂井を見比べた。
「おい、男は顔やないぞ。大事なんはここや、ここ!!!」辻井は右の拳を胸に当てて、
「坂井君もそう思とるはずや」と坂井に半強制的に同意を求めた。
「えっ、はい・・・」坂井は戸惑いながらも「その通りです」と辻井の話にあわせた。
「ほれ見てみい。坂井君も、見てくれは関係ない、いうてるやないか」
辻井は勝ち誇ったように右の拳に力を込めた。
「はあぁ、この期に及んで卑怯な手つかうとは、政務次官も地に落ちたもんやな」
沢口はガッカリ感丸出しで、「坂井君、遠慮なんかせんでもええで」と坂井を見て、
「男は顔や!!!とズバッというたり。これが現実なんやと教えたり」と強要した。
ーーいや、それはちょっと・・・坂井は顔を引き攣らせて口をつぐんだ。
「なあ、女将。なんや、さっきから坂井君にすごく肩入れしとるようやけど・・・」
辻井が意味深な目で沢口を見て、「もしかして、もう喰ったんか?」と尋問した。
ーーえっ、なんでこうなるの? 坂井は絶句して顔を引き攣らせた。
沢口は「アホか。まだ喰ってへんわい。ウチを山姥(ヤマンバ)みたいにいうな」と辻井に反撃する。
「いや、まだちゅうことは、これから喰ったろうと思とんやろ」と辻井も応戦する。
ーーこれって、ただの痴話喧嘩なんじゃ・・・
坂井は辻井と沢口の関係をまったく知らないが、直感的にそう思った。
「先生」突如、沢口が口調を和らげて「もしかして、焼き餅でっしゃろ」と微笑する。
「焼き餅って、わしが誰に焼き餅やいてるちゅうんや」辻井は語調を強める。
「ウチに決まっとるやろ。焼いとるって、正直に白状したらどうや」
沢口はこの流れを楽しんでいるかのように、
「坂井君、よう聞きいてや。男の焼き餅ほど醜いもんはないんや」と坂井を巻き込む。
辻井が坂井を見て、当然のごとく無言の圧力をかける。
ーーなんでこうなるの・・・坂井はこの2人に振り回されてばかり。
「まあ、ウチはわざと焼き餅を焼かせとるんやけどな」沢口は意地悪そうな表情で、
「なんせウチは、昔から先生一筋やさかい」と辻井の肩をポンと叩いた。
「ほな、坂井君。あとはよろしゅう頼んます」沢口は坂井に告げると振り返った。
「あ、はい」坂井は鉄板焼きを出て行く沢口を見送った。
「いや、今日も女将に一本取られてもうたな」辻井も沢口を見送りながら呟いた。
窪田がこのタイミングを見計らって、「先生、いい具合に焼けてますよ」と促す。
辻井は焼きあがったばかりの米沢牛を見て、
「そやそや、これを楽しみに来とるんやった」と箸を取った。
坂井は上機嫌で極上のサーロインを味わう辻井を見て、
ーーこれって、ダシに使われたってこと・・・だよな。と複雑な心境に包まれながらも、
ーーなんか、昭和のコメディみたいで面白かった。と下町の人情味を感じていた。
かくして鉄板焼きの夜が更けていくのだった。
(14)
時を同じくして、東京の赤坂で異様な文字が乱立しせめぎ合う通りは、バブル景気が崩壊した後も衰えを知らず、今宵も多くの人で賑わっていた。
まだ「花金」という週末の代名詞が定着しているような空気に包まれている。
そんな通りにある高級料亭の一室で密談が行われていた。
この料亭は政治家御用達で、大物国会議員たちが密かに利用している。
この通りは賑わっているが、その多くは日本人ではない。
なぜなら、この通りを彩る異様な文字の意味は、普通の日本人には分からないからだ。
そんなとっても妖しい通りは、密会を慣わしにして、裏工作で世の中を操る国会議員にとって、願ったり叶ったりの場所なのだ。
今、この一室で対峙しているのは、自優守護党の総務会長で聖和会幹部の白川政次郎と同じく聖和会の亀田静夫である。
白川と亀田はともに髪を七三に分けて縁なしの眼鏡をかけている。
白川は面長で白髪が多く、スラッとした長身である。
一方、亀田は亀の形状と酷似した顔立ちで、白髪は目立たない程度、体型はこれもまた亀に似ている。
そんな2人が向き合って、初夏の食材で彩られた料理を堪能している。
「この通常国会も大詰めに差し掛かり、そろそろ次の選挙に向けて、水面下で動き出す者もいるようだ。亀田君もそうだろ?」白川が訊ねる。
「総務会長。話というは選挙に関することですか?」亀田が確認する。
今年(1996年)の1月に発足した阪本竜蔵内閣はまだ連立政権だった。
阪本内閣総理大臣は、1972年5月に沖縄が米国から日本に返還された後、今日に至るまで続いている米軍基地問題に関して、大きく前進する成果を挙げた。
これによって、自優守護党の支持率が大幅に上昇した。
自優守護党は、このチャンスを逃す手はないと判断して、密かに衆議院解散総選挙を模索していた。支持率が上昇し、運気が自優守護党に傾いている間に、解散総選挙に打って出れば、自優守護党の単独政権を樹立させる可能性が高いと考えていた。
6月19日の通常国会の会期末を機に、与野党が挙って様々な動きを見せるようになる。
総会長の白川は、次の総選挙に向けて党の結束を促し、会派を超えて自優守護党を一枚板にする役目も担っているのだ。
「もちろん選挙にも関わってくる話だが、実は亀田君に頼みたい仕事があってな」
白川はすぐに本題に移り、現在、自優守護党を裏切って結成された大澤新党に所属している新居昇明を聖和会に取り込む役目を担って欲しいと依頼した。
まず、新居昇明と密かに接触し、大澤新党を離党するよう促す。
新居が大澤新党を離党しても、すぐに自優守護党に復党できないとこを承諾してもらう。
その代わりに、無所属で出馬する新居を影からサポートし、次の選挙で当選させる。
新居が次の選挙で当選することで、自優守護党への復党が認められ、晴れて聖和会のメンバーとして迎えることができる。
「もちろん新居君にも何らかの土産を用意するが、これが成功した暁には・・・」
白川が身を前に乗り出して亀田の顔を直視し、
「次の内閣で、亀田君に大臣のポストを用意しよう」と告げた。
亀田は「大臣」という言葉に反応して姿勢を正した。
「どうだろう。悪い話ではないと思うがな」白川は引き受けるよう促した。
「その役目、お受けいたしましょう」亀田が頷き、「1つよろしいですか?」と確認する。
「いいだろう」白川は懐の深さを示す。
「新居を取り込んで、なにをするおつもりですか?」亀田がしれっと矛を抜く。
「それは、この件が成功してから!ということで了承願えるかな」白川が矛をいなす。
「わかりました」亀田があっさりと矛を収めた。
新居昇明取り込みの話が成立し、白川と亀田は、吟醸酒で乾杯した。
乾杯後、亀田が用を足しに部屋から出た。
白川はこのタイミングで、懐からPHS(ピッチ)を取り出した。
「大泉君、私だが・・・」白川は大泉純三に新居の件が纏まったことを伝えた。
「ああ、亀田が新居を取り込む真意を探ろうとしたが、軽くかわしておいた」
「まあ、私も大泉君の真意を知らないから、答えようもないがね・・・」
「大泉君が言う、新世紀に向けた改革、に期待しておるよ」
白川はPHSを懐に戻した。
白川は、若い政治家の台頭によって、我々の時代が終わることを悟っていた。
亀田が戻って来て座った。
「さあ、今夜はおもいっきり飲もうか」白川は吟醸酒を亀田の冷酒グラスに注いだ。
政界だけでなく、多くの怪物たちが集う赤坂の夜は、果てしなく長い。

この物語はフィクションです


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