INTERNATIONAL vol.22
- 夢見操一

- 12月21日
- 読了時間: 7分
INTERNATIONAL
(41)
1996年10月23日
アルシオ・インターナショナルの採用試験の第1ステップをクリアした坂井琢郎は、第2ステップの面接試験のことで頭が一杯になっていた。
気持ちはすべてアルシオ・インターナショナル!!! と言っても過言ではない。
だが、このことは誰にも話していない。
もし、口を滑らせて、インターナショナル堂楽園ホテルの誰かに話してしまったら、
ほぼ確実に坂井の計画は潰されるだろう!!!
坂井はとにかく逸る気持ちを押さえて、日々の業務を遂行していた。
去る1996年9月27日に衆議院が解散された後、衆議院議員総選挙に向けた各党の動きがメディアで報道されていた。
坂井も以前とは違い、衆議院議員総選挙に意識を向けるようになっていた。
その切っ掛けは、辻井元高の影響だった。
まだこのホテルの裏の顔と正体を知らなかった坂井は、このホテルのVIPゲストの辻井が参議院議員で、しかも現職の通商産業政務次官でもあり、さらに辻井の話題が国政に関わることが多かったことに感化されて、政治や選挙を意識するようになった。
今回の衆議院議員総選挙は、1994年に公職選挙法の改正によって新たに導入された小選挙区比例代表並立制の下で行われる最初の選挙という意味合いも加味されて、注目度が上昇していた。
もし坂井がインターナショナル堂楽園ホテルの裏の顔と正体を知らされず、このホテルと深く関わりを持っている辻井と辻井が属している自優守護党のことを知らさせれていなかったとしたら、坂井は今回の選挙で一票を投じていただろう。
だが、裏の世界のことを知ってしまった今、坂井は投票しないと決めていた。
なぜなら、この選挙制度は民主主義のカモフラージュでしかないからだ。
坂井は上司の武田勇の言葉を忘れることはない。
「正直者は馬鹿を見る。その典型的な国が、この日本なんや」
その通りだ!!!
今や、坂井はそう確信している。
武田が見せびらかした贅沢の象徴は、坂井に衝撃を与えた。
だが、裏で国民を嘲笑う悪の世界に共感できない。
裏で悪と関わっている政治家も国民を騙している悪であり、一票を投じる価値はない。 坂井はそう思い、今回の衆議院議員総選挙だけでなく、地方選挙も含めた全ての選挙で投票しないと決意したのである。
そんな坂井の意思とは裏腹に、1996年10月8日、衆議院議員総選挙が公示されて、全国で選挙戦が開始された。
坂井は選挙戦に意識を向けることなく、アルシオ・インターナショナルの面接試験に備えていた。
もちろんインターナショナル堂楽園ホテルでの業務はしっかり遂行していた。
1996年10月20日、衆議院議員総選挙の投票日、選挙戦の審判が下された。
結果は、自優守護党が議席を回復させたが、過半数に届かずという中途半端な結果で幕を閉じた。
一方、前回、新党ブームの風に乗り躍進を遂げた大澤新党は、公職選挙法の新制度の攻略に失敗し、議席を減らした。
さらに、一心発起で結成された民利主権党も新たな風を起こせず、自己満足レベルの結果しか生み出せなかった。
そして、阪本竜蔵内閣で連立を組んでいた2つの党も議席を減らし、初の新制度の下で行われた衆議院議員総選挙は、完全な復権を目論む自優守護党の追い風になった。
この選挙で、新居昇明は無所属で出馬して当選を果たし、住友博史はトップ当選を果たした。だが、この2人の衆議院議員を待っているのは・・・
坂井は今回の衆議院議員総選挙の結果に興味さえ抱くことなく、鉄板焼きの業務に携わっていた。
今、Aカウンターの入口側の席に年配の男性が一人で米沢牛を堪能している。
体格が良くて、貫禄のオーラに包まれた男性だった。
対応しているのはシェフの窪田誠司で、会話の内容はベースボール。
今の時期は、ちょうどプロ野球の日本シリーズ真っ只中だった。
今日のゲームでブルーウェーブがジャイアンツに勝利して、日本一に大手をかけたという話題で、神戸在住の窪田は明日のゲームでブル-ウェーブが日本一を決めることを望んでいる様子だが、窪田の目前で米沢牛を堪能している男性はジャイアンツの関係者で、石神謙一(イシガミケンイチ)というベースボールファンであれば、誰もが知っているベースボール界の大物だっため、窪田は戸惑っていた。
坂井はこの状況に足を踏み込めず、様子を覗うしかなかった。
Bカウンターの夫妻が席を立ち、坂井はエレベーターまでエスコートして見送った。
坂井が鉄板焼きに戻ると、その石神が坂井に声をかけた。
「君の出身地はどこかね?」と。
「愛媛です。愛媛の東の端の町ですけど・・・」
坂井が答えた。
「そうか」
石神の表情が変わったことに、坂井は気づいていた。
「高校は、その地元の高校かい?」
石神が坂井に訊ねた。
「はい、そうです」
坂井はこの問いの意味が理解できなかった。
「なら、宇座見って知ってるか?」
石神が間髪入れずに坂井に訊いた。
「宇座見・・・あっ、監督ですか?」
坂井は答えた。
宇座見秀史(ウザミヒデフミ)は、坂井が通っていた地元の高校の野球部の監督で、体育の教師だった。坂井は宇座見先生のことを思い出していた。
「おお、そうか、知ってるのか」
石神が驚きと喜びの表情で坂井を見た。
「はい」
坂井は頷いて、驚きの笑みを浮かべた。
まさかここで宇座見先生の話題が出てくるとは思ってもいなかったからだ。
坂井は野球部ではなく、テニス部に所属していて、宇座見先生とは体育の授業で指導していただいたことを懐かしく思った。
「お客様。宇座見先生とはどのようなご関係でしょうか?」
坂井は恐縮気味に訊ねた。
「ああ、宇座見君はね、私が早実大学時代の野球部の監督をしていた時の教え子で、副主将を務めてもらっていた。その時の主将が岡崎彰信(オカザキアキノブ)で、君も知っているだろうけれど、岡崎君はプロで活躍して、今はブルーウェーブの打撃コーチを務めているよ。まあ、宇座見君は岡崎君を支えた盟友なんだよ」
石神が宇座見との関係を坂井に伝えた。
坂井は宇座見先生が早実大学の野球部で活躍してことを聞いたことがあった。
坂井は、今、目の前で米沢牛を堪能している石神が宇座見先生の恩師だったことにこの上ない喜びを感じていた。
「私は野球部ではなくて、テニス部でした。宇座見先生は体育の授業でお世話になりました。宇座見先生は、野球とか野球以外とか関係なく、生徒たちに平等で厳しく、あたたかく指導してくださる先生でした」
坂井は高校時代のことを思い浮かべて、そう伝えた。
「そうか」
石神は胸の内で何かをかみしめるような表情を浮かべて、
「宇座見君は、元々教職員希望でね、早実大学で野球をしながら免許を取得して、高校教師の道へ進んだ。宇座見君はその教師として自らの責務を全うしているんだろう。今の君を見ているとそう確信できるよ」と坂井に告げた。
「いえいえ、私はそれほど・・・」
坂井は戸惑った。
今の坂井自身の現状を宇座見先生に報告できるはずもないからだ。
「坂井君」
石神が名札を確認して、
「君はホテルマンとして立派に職務を遂行し、責務を果たしているよ。好感が持てるいい青年に育っている。自信を持ちなさい」
と坂井を褒めて諭した。
「はい、ありがとうございます」
坂井がお礼を伝えて頭を下げた。
「この先、宇座見君に会う機会があれば、君のことを伝えておくよ」
石神が微笑み親指を立てて、「頑張りたまえ」と坂井にエールを送った。
「はい、これからも頑張ります」
坂井は感極まり、全身に奮えを感じていた。
明日(10月24日)は、アルシオ・インターナショナルの採用試験の第2ステップの面接試験を受けることになっている。
石神謙一の言葉が坂井に自信と勇気を与えていた。
「こんなとんでもないホテルにいてはいけない!!!」
坂井の気持ちはさらに強くなり、
「明日は自信を持って面接試験に挑むぞ」
坂井はそう決意した。

この物語はフィクションです


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