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INTERNATIONAL vol.23

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月21日
  • 読了時間: 8分

INTERNATIONAL


(42)


 1996年10月24日

 坂井琢郎は梅田2丁目の西阪神ビルを背に大阪中央郵便局を見ていた。

 快晴で気温が25度を超える暖かさだが、北東から吹いてくる風が心地よく感じる。

 坂井はアルシオ・インターナショナルの開業準備室から出てきたばかりだった。

 坂井は、採用試験の第2ステップ、面接試験を終えて、気持ちが軽くなっていた。

 以前、面接試験を受けた神戸のホテルと泉佐野のホテル、そして、今回の面接試験は、3社とも同じような内容で、特に緊迫した空気は感じられず、経歴と希望職種に関する話やホテル業界の現状と市場の動向など、第1ステップとは真逆と思える内容だった。

 面接試験の担当者は千葉(チバ)と名乗った。体格は坂井の倍以上、ホテルマンとは思えない豪腕格闘技さながらの風格を持っているが、朗らかで温もりを感じさせる雰囲気の男性だった。

 坂井はぼんやりと考えていた。

 ーーあの第1ステップの電話でのやりとりで、何を審査していたのだろう?

 10月下旬なのに夏日、だが北よりの風が心地よくて、物思いにふけるには丁度いい。

 できれば、目の前を行き来する車両のエンジン音に邪魔されたくないな・・・

 そんな気持ちだった。

 面接試験の最後に千葉にお礼を伝えて一礼した時、千葉が満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。

その瞳の輝きは坂井の背中を押し、インターナショナル堂楽園ホテルからの脱出とアルシオ・インターナショナルへの扉が開いたことを感じさせる光だ!!と坂井の直感が坂井自身に伝えていた。

ーー第3ステップに進める!!!

坂井の中で希望の光が未来を指し示してくているように感じて、今は何もせずに、ただその気持ちを噛みしめていたいと思うばかりであった。



(43)


 1996年10月26日

 インターナショナル堂楽園ホテルの鉄板焼きでは、小杉繁留(コスギシゲル)が米沢牛を堪能していた。

 小杉は元プロ野球選手で投手、現役時代はジャイアンツとタイガースで活躍し、引退後は長く野球から遠ざかっていたが、今月、バファローズの一軍投手コーチに就任したばかりである。

 小杉は長身でスタイルがよく、その上、イケメンで、とても43歳には見えない。

 坂井琢郎は、小学生だった頃、野球中継で小杉のサイドスローを見て、放課後に野球をして遊ぶ時は、小杉のサイドスローを真似てボールを投げていた。

 その小杉が鉄板焼きに入ってきた時、坂井はすぐにあの小杉投手だと気づいた。

 坂井は野球中継ではなく、小杉本人に会って、胸の高鳴りと緊張感に包まれていた。

 一昨昨日の10月23日。

 坂井の高校時代の体育の先生である宇座見秀史の早実大学時代の恩師、野球部の監督だった石神謙一が鉄板焼きに来て、坂井にエールを送ってくれた。

 その翌日のアルシオ・インターナショナルの面接試験は、そのエールのパワーなのか、坂井が第3ステップに進める可能性を大きく引き寄せる手応えを感じさせてくれた。

 そして、今、野球に深く関わっている小杉が鉄板焼きに来て、米沢牛を堪能している。

 立て続けに有名な野球関係者が鉄板焼きを利用したことは、ただの偶然か、それとも、神の思し召しなのか、坂井は小杉の来店に何か運命的なものを感じていた。

 今日は土曜日、ディナータイム開店早々からAとBのカウンターの席が埋まる忙しさで、焼き手も掛け持ちで対応していて、ようやく一段落ついて、焼き手が厨房で一息ついているところに、小杉が鉄板焼きに入ってきた。

 坂井がAカウンターに案内してすぐに、小杉が川崎を焼き手に指名した。

 坂井は、小杉と川崎が知り合いで、小杉が川崎に会いに来たんだと思った。

 だが、それはすぐに否定された。

 坂井が川崎に

「元プロ野球選手の小杉さまが指名してますよ」と伝えると、

「えっ・・・」と川崎が驚いて、「なんで?」と首を傾げた。

「それは、本人に聞いてくださいよ。さあさあ、ご挨拶ご挨拶」

 坂井は川崎を促した。

 川崎は首を傾げながら厨房を出て、Aカウンターの席に座っている小杉の前に立ち、

「小杉さま。川崎です。初めまして」と頭を下げた。

 ーー知り合いじゃないのか・・・

 坂井も厨房から出て、小杉の傍に近寄った。

「川崎さん。パリでは、妻がお世話になったそうで」

 小杉が笑みを浮かべて言う。

「あっ、タイユヴァンの・・・」

 川崎は目を大きく開いて、

「お世話になったには私の方ですよ」と伝えた。

 坂井は、米沢牛を堪能している小杉の様子を覗いながら、川崎との会話を聞いていた。

 その内容は、小杉の奥様は料理研究家で、フランス料理の修業を目的で渡仏して、ミシュランの3つ星レストランとして名を馳せているタイユヴァンの門を叩いて、正式にタイユヴァンで修業をすることになったそうだ。

 タイユヴァンで正式に修業をした日本人は、小杉の奥様が初めてだったというのだ。

 ーーじゃ、川崎さんは何?

 坂井は、川崎のタイユヴァンでの武勇伝を散々聞かされたが、最初「タイユヴァン」と聞いた時、思わず「嘘でしょ!」と口を滑らしてしまい、川崎の逆鱗に触れてしまった。

 その様子から、川崎がタイユヴァンにいたことは、本当なんだろうと思っていた。

 だが、今、タイユヴァンの話を耳にした限りでは、川崎は正式にタイユヴァンで修業をしていたのではなく、料理人の欠員の穴埋めで、短期のヘルプ要員だった。

 そのヘルプ要員として川崎を紹介したのが小杉の奥様だったのだ。

 今日、小杉が川崎に会いに来たことで、川崎が正式にタイユヴァンで修業をしていたのではなく、一時的なヘルプ要員として短い期間だけタイユヴァンの厨房で働いていたことが判明した今、坂井は川崎の境遇を憐れむのではなく、胸の内でこみあげてくる笑いを抑えるのに必死だった。

 ーーなぜ川崎がフランス料理のシェフでなく、鉄板焼きのスーシェフに収まったのか?

 坂井は、こうなるべくしてこうなったのだ! と確信して、最初「嘘でしょ!」と口を滑らせて、川崎に「嘘やない。おまえ、オレをなめとんのか!!!」とひどく怒鳴られたことを思えば、今の川崎の心境は「もうタイユヴァンの話はやめてくれ」とバツの悪さで溢れているはずである。

 小杉と川崎の接点は「小杉の奥様」であり、川崎からこの話題を変えられないのだ。

 ーーさて、どうするんだろう?

 坂井は、助け船は出さないと決めて、川崎の様子を静観することに徹した。

 小杉は気分良く米沢牛を堪能している。

 坂井はワイングラスに赤ワインを注ぎながら、余計な言葉を発しないように心がけて、小杉と川崎の会話の邪魔をしないように対応していた。

 坂井は、川崎の視線が自分に向けられる頻度が増えていることに気づいていたが、あの最初の時の上からドカンと落とされるように怒鳴られたことへの仕返しのごとく、川崎の視線をスルーした。

 だが、川崎は痺れを切らしたように反撃に打って出たのだ。

「ーー彼もフランス帰りなんですよ」と、唐突に小杉に告げて坂井を指さした。

小杉が坂井の方を向いた。その目は興味津々の輝きを放っている。

 ーーえっ、何振り構わずこっちに振るんかい・・・

 坂井は、小学生の時代に憧れていた小林投手が躍動する姿が脳裏に浮かび、今の坂井の実状を踏まえると、小林に話ができるレベルにないと臆していた。

「彼は一人でフランスに行ってワイン産地を巡り、ワインの勉強をしてきました」

 川崎はまるで自分のことのように話して、話題を坂井に振った。

「へ~、そうなんや」

 小杉の目の輝きが膨らんだ。

「あ、はい。そうです」

 坂井は恐縮気味に答えた。

「なんで、そんなことを?」

 小杉が興味津々の目で訊ねた。

「実は・・・」

 坂井は阪神淡路大震災で被災した後の経緯を話した。

 もちろんインターナショナル堂楽園ホテルの裏の顔と組織のことは話していない。

「そうか。それで、フランスに行って、言葉はどうしたんや?」小杉が訊く。

「半年、独学で勉強しましたが、まったくわかりませんでした」坂井が答えた。

 フランス語の壁が高すぎて挫折しそうになったけれど、挫折することなく最後まで計画通りにやり遂げたことを小杉に伝えた。

 小杉が一間おいて、口元に笑みを浮かべた。

「チャレンジャーやね。サルゲンセキだけじゃないんやな」小杉が感心したように言った。

 サルゲンセキといえば、今年の4月に香港を出発して、ヒッチハイクで旅をして、今月、ゴールのロンドンに到着した。

 先日の22日にゴールの模様がテレビ番組で放送されて、坂井もサルゲンセキが無事にゴールしたことを知っていて、サルゲンセキのヒッチハイクの旅の苦難の連続に比べれば、

「自分はまだまだぬるいもんだ」と、坂井はそう自覚していた。

「君のフランスでの経験は、この先、必ず活かされるはずだ。とにかく自信を持って仕事に打ち込むことが大事。がんばりなさい」

 小杉は坂井にエールを送った。

「ありがとうごいざいます」

 坂井は感激して胸が熱くなるのを感じていた。

「今日はほんとにいい話を聞かせてもらった。礼を言うのはこっちの方だ。なんだかさらに闘志が湧いてきたようだ。ありがとう」

 小杉は坂井に礼を伝えた。

 バファローズの一軍投手コーチに就任した小杉の表情は確固たる決意に満ちていた。


「本日はご利用ありがとうございました」

 坂井と川崎がエレベーターに乗った小杉を見送った。

 小杉が坂井におくったエールは、坂井にとってかなり縁起のいい言葉だと感じた。

 坂井をアルシオ・インターナショナルの採用試験の第3ステップへ導く星の輝きだと思わずにはいられない状態だった。

 小杉を乗せたエレベーターのドアが閉まり、エレベターが下降し始めた。

 坂井は頭を上げて、川崎の方を向いた。

 坂井の右隣にいたはずの川崎の姿はすでになかった。

 振り返ると、そそくさと鉄板焼きへ戻って行く川崎の後ろ姿が見えた。

 その肩を落として歩く背中は何を語っているのか・・・?

 坂井は、「今日は声をかけない方が良さそうだ」と直感した。

 この日を境に、川崎がタイユヴァンの武勇伝を語ることは一切なかった。


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この物語はフィクションです



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