INTERNATIONAL vol.36

INTERNATIONAL
(63)
1997年10月10日 夜
坂井琢郎は、先にクレジットカードで精算を済ませて、バランタイン30年のロックを味わう辻井元高とグラスワイン(赤)を味わうユキコの様子を覗っていた。
インターナショナル堂楽園ホテルへ戻るからと言って、辻井もユキコも一気に飲み干すようなことはしない。
自分のペースでゆっくりと味わうのが常である。
坂井は、「誰にも見られんようにして、ここから外に出してくれるか」という辻井の要求に応えるために、脱出ルートをイメージして、「今のこの時間帯なら成功させられるはず」と確信していた。
1階ロビーで待機している支配人とシニアマネージャーから、「辻井先生が席を立ったら、すぐにPHSで連絡しろ」と指示されている。
だが、坂井は連絡する気はまったくなかった。
しばらくして、辻井が坂井に合図を送った。
坂井はすぐにテーブル席に近づき、レディーファーストでユキコの椅子を引いた。
ユキコが席を立ち、続いて、坂井は辻井の椅子を引いた。
辻井が立ち上がり、「坂井君。頼むで」と告げた。
「では、ご案内いたします」
坂井琢郎は頭を下げてから、辻井元高とユキコをメインバーから通路へ誘導した。
他の店舗を利用している男性客1人がトイレから戻ってきた。
坂井はその男性をやり過ごしてから、
「どうぞ、。こちらでございます」と冷静に対処した。
坂井は二人をトイレにご案内するような演技をして、二人をトイレの方へ誘導する。
メインバーの中から見られても、トイレに案内したとしか思わないだろう。
メインバーの中からは、トイレの場所までは確認できない。
坂井はトイレの入口を通り過ぎて、二人を先へと誘導する。
この先には、宿泊者専用のエレベーターがあり、5階でとまった時に音が鳴る。
坂井はエレベーターの少し手前で左に曲がり、二人を誘導する。
この時点で、エレベーターの音は鳴らなかった。
これで第一関門突破である。
続いて、右へ曲がり、細くて殺風景な通路を進む。
ホテルの豪華さが消えて、静けさに包まれる。
通路の突き当たりまで進むと、シンプルな扉がある。
バックヤードに入る普通のドアのようである。
坂井琢郎は、ゆっくりとその扉を開けて、様子を覗った。
誰もいないことを確認して、「先生、どうぞ」と促す。
辻井元高、ユキコの順にアルシオ・インターナショナルから外に出た。
坂井はゆっくりと扉を閉めた。
これで第二関門突破である。
まさにホテルのバックヤードと思える空間に装飾などはなく、階段とエレベーターがある。
表示を確認すると、エレベーターはずいぶん上の階で停まっている。
「ここはなんや?」
辻井元高が小声で坂井琢郎に訊ねた。
「タワーオフィスです」
坂井は、このビルが、アルシオ・インターナショナルとショッピングモール、タワーオフィスがはいる複合施設であることを伝えた。
さらに、今の時間帯で、しかも祝日というシチュエーションであれば、今、オフィスで仕事をしている入居者はほとんどいないことを伝えた。
坂井はエレベーターのボタンを押した。
1分も待たずにエレベターの扉が開いたが、中には誰も乗っていない。
坂井は、ユキコ、辻井の順にエレベターに誘導して、1階へ下りる。
1階に到着して扉が開いた。
坂井はタワーオフィスのロビーに誰もいないことを確認して、二人をロビーに促した。
これで第三関門突破である。
坂井琢郎は、薄暗いロビーからショッピングモールに入る扉まで辻井元高とユキコを誘導した。
「先生、ここから一瞬だけですけど、ショッピングモールを通ります」
坂井は扉のノブに手をかけながら、
「今の時間、ほとんどのショップが閉店していて、利用者はほとんどいません。ショップの店員はいますが、片付けなどの作業で店内に籠もっているので、見られることはないと思います」と伝えてから、ゆっくりと扉を開けた。
坂井はショップなど様子を確認した。
利用者の姿は無く、数店舗のショップに明かりが点っているが、人の姿は見えない。
「先生、参りましょう」
坂井は二人をショッピングモールの中へ誘導し、足早にショップの前を通過し、ショッピングモールの裏口へと誘導した。
坂井は裏口の扉を開けて、
「階段がありますので、お気をつけください」と伝えて、二人をショッピングモールの外に出した。
二人は階段を下りて、ショッピングモールの裏通りに降り立った。
これで脱出成功!!!
坂井琢郎は裏通りで周囲を確認している辻井元高とユキコに近づいた。
「こんな抜け道があったんやな」
辻井が坂井を見て、
「いや~、坂井君。これは見事や」と感心した表情で言った。
「いえいえ、それほどでもございません」
坂井は謙遜しながら、
「いつかこんなこともあるかも知れないと思って、調べておきました」と伝えた。
「そうか」
辻井は感心した表情を浮かべて、
「坂井君には借りができてしもうたな」と言う。
「いえいえ、借りだなんて、とんでもございません」と、坂井は首を振った。
「坂井君」
辻井は真顔になって、
「これからの自分の人生を大切にしなさい」と伝えた。
「はい。ありがとうございます」
坂井は頭を下げた。
「先生。そろそろまいりましょうか」
ユキコが辻井を促した。
「ああ、そやな」
辻井が坂井を見て、
「これからも、がんばりや」と伝えた。
「はい。がんばります」
坂井が力強く答えた。
ユキコが坂井を見つめていた。
坂井はユキコの瞳の輝きに「えっ、その瞳は何?」と心の中で呟いた。
ユキコが笑みを浮かべて、
「坂井君。お達者で」と伝えて手を振った。
「ユキコさまもお元気で」
坂井は頭を下げた。
この瞬間、坂井は「もう会えないんだ」と直感した。
坂井琢郎は、裏通りを歩いて行く辻井元高とユキコの姿を見送り続けた。
坂井の中で辻井の言葉が蘇っていた。
「誰にも見られんようにして、ここから外に出してくれるか」
「これは見事や」
「坂井君には借りができてしもうたな」
「これからの自分の人生を大切にしなさい」
坂井は「そうか、わかったぞ」と呟き、改めて辻井とユキコの後ろ姿に頭をさげた。
頭を上げると、辻井とユキコの姿は見えなくなっていた。
快晴の夜、心地よい風がユキコの髪を揺らした。
「先生、これでよかったんでしょ?」
ユキコが辻井元高を見ることなく訊ねた。
「ああ、これで坂井君は自由や」
辻井もユキコを見ることなく答え、
「いや~、ユキコ君の策が見事にはまりよったわ」と、思惑通りの結果に頬を緩めた。
何の前触れもなく、突然、アルシオ・インターナショナルに乗り付けて、アルシオ・インターナショナルの幹部や従業員を騒然とさせる。
当然の如く、辻井元高とユキコに注目が集まり、他の利用者に悟られないように厳戒態勢がひかれる。
そこで、坂井琢郎に「誰にも見られることなく、外に出してくれ」と伝えて、坂井が動くように誘導する。
純粋で真面目な坂井は期待に応えようと必死に考えて、必ず辻井とユキコを外に出してくれるだろうと考えた。
その読みが見事に的中し、辻井は坂井に借りができて、辻井はその借りを返すという大義名分にのっとり、坂井をインターナショナル堂楽園ホテルから解放したのである。
そして、この夜、インターナショナル堂楽園ホテルの裏の正体を知っている危険分子者リストから坂井琢郎の名前が削除された。
快晴の夜、中秋の名月を間近に迎えた月が、自由になった坂井琢郎の未来を照らしていた。

この物語はフィクションです




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