INTERNATIONAL vol.32

INTERNATIONAL
(55)
1997年2月5日
アルシオ・インターナショナルの最終面談を終えた後、坂井琢郎と谷崎准宗は地下鉄御堂筋線を利用して心斎橋へ移動した。
今日の最終面談の打ち上げと称して、繁華街でド派手な豪遊を目論む谷崎は、天下無敵の状態である。
「あっ! これ、どうでしょう?」
谷崎が立ち止まって、店の入口の左側に設置された生け簀を見た。
「えっ・・・」
坂井は目を疑った。
管理が行き届いている生け簀の澄んだ海水の中で、丸みのある円筒形で、胸びれの後ろに白縁を纏った大きな黒い斑紋を持つ魚たちが戯れている。
まさに今が旬という高級魚、トラフグである。
この店は割烹料理店で、フグ料理専門店ではないが、入口の目立つところに旬のトラフグを泳がせて、客引きを目論んでいるようだ。
「こういう店は、予約が必要じゃないのか?」
坂井は谷崎を止める思惑で、そう告げた。
「いえ」
谷崎は即答して、
「予約無しでもいけるって書いてますよ」と、店頭のメニューを確認しながら、笑みを浮かべた。
「マジか・・・」
坂井は、最終面談の打ち上げと言っても、まだ採用が決まったわけでもなく、現時点で、こんな大盤振る舞いなんぞできやしないのだ。
谷崎は坂井の心中を汲み取ることなく、トラフグの単品メニューを流し見て、
「おお、この店、トラフグのコースやなくても、単品でOKですよ」と呟き、
「うん、ここにしましょう!!!」と、強引に入口の引き戸を開けた。
坂井は万札が翼を広げて飛んでいくイメージを生け簀の中で胸びれをバタつかせて遊泳するトラフグに重ねて、
「こうなったら、やけ食いしかないな」と、頬を引き攣らせながら呟いた。
割烹料理店でトラフグをたらふく味わい、すっかり気分を良くした坂井琢郎は、東心斎橋にあるBARで、重厚感のあるエンジ色のソファーに腰を埋めて、VIPの気分に浸っていた。
大理石のローテーブルを挟んで、坂井と同じくソファーに腰を埋めているのは、もちろん谷崎准宗である。
この店は、「ユーフォリア」という会員制の高級BARで、「一見客お断り」に徹している。
店内はダウンライトの光を絞って暗めに調節して、赤い光のラインが浮かびあがって模様を描く装飾が施されている。
さらに、キャンドルの赤い炎がテーブルとバーカウンターに温もりを与え、ファビュラスな空間をつくりあげていた。
坂井はこのBARに入った瞬間、「レッドって、もしや・・・」と、高級ラウンジ「ルージュ・セリーズ」とワインバー「フリュイデフォンデユ」の内装と雰囲気をイメージし、「まさか同じだったりして・・・」と、同一人物がデザインしたように感じていた。
そんな会員制BARに坂井を連れてきたのは、もちろん谷崎である。
だが、谷崎はこのBARの正式な会員ではない。
このBARのオーナーが谷崎と親しい間柄で、割烹料理店を出た後、谷崎が公衆電話からこのBARに連絡を入れた。
オーナーの田嶋一臣(タジマカズオミ)は、まだBARに顔を出していなかったが、以前に谷崎がこのBARを訪れた時に知り合ったチーフバーテンダーの赤阪龍(アカサカリュウ)がオーナーに連絡してくれるということで、坂井と谷崎は受け入れられたのだった。
「もう間もなくオーナーが到着します」
赤阪龍が谷崎准宗に報告して、
「何かお飲みになられますか?」と伺った。
「いやいや、オーナーが来てからにするよ」
谷崎が恐縮したふりをして答えると、
「承知いたしました」
赤阪が頭を下げて、バーカウンターに戻っていった。
赤阪はレッドのワイシャツと黒のパンツ、黒のベスト、ノーネクタイで、黒の革靴という格好で、背格好は坂井琢郎に似ているが、目尻が切れた色気のあるイケメンで、尚且つ、知的な洞察力を兼ね備えている。
おそらくチーフバーテンダーの赤阪がこの会員制BARを切り盛りしているのだろう。
今は、赤阪以外に女性スタッフが1人いるだけだが、19時を過ぎたばかりで、BARにとってはまだまだ宵の口、これから忙しくなる時間帯に合わせて、他のスタッフが出勤してくるのだろうと思われる。
その一足先に出勤している女性は、エントランスの前にあるクロークで待機している。
女性スタッフのユニフォームは、黒のワイシャツの上にレッドのベストという格好で、髪はシニヨンに整えている。
背筋をピンと伸ばして待機する姿勢は、ホテルウーマンさながらである。
その女性スタッフが頭を下げた。
そのタイミングでエントランスの扉が開き、田嶋一臣が現れた。
女性スタッフが田嶋からトレンチコートを預かり、
「オーナー。お客様は、あちらにいらっしゃいます」と、左手で場所を示した。
田嶋が谷崎准宗を確認した。
田嶋は、濃紺のスーツ姿で、縦縞の薄いブルーのシャツにシルクのネクタイ、エナメルの黒い靴。
バーバリーで装う田嶋の左手首にはロレックス。
卵形の顔立ちで、髪はオールバック、眉毛が太めで、鼻筋が通り、唇は厚めで、目力が強い。
細身で背が高く、身のこなしにそつがなく、悠々とした立ち振る舞いに徹している。
そんな田嶋が谷崎准宗の姿を確認した途端、
「おう、谷崎さん。久しぶり」と、谷崎に右手を振りながら足早に近づいてきて、
「よう来てくれた」と、笑顔で挨拶した。
「突然、お邪魔してすみません」
谷崎が少し頭を下げた。
「何をいうてますの。ワイと谷崎さんの仲や。『なんも遠慮はいらんで』と前にもいうたやろ」
田嶋が右手を立てて左右に振った。
「嬉しいお言葉、ありがとうざいます」
谷崎は満面の笑みで応えた。
「ところで、今日は何事?」と田嶋が訊ねた。
「面接の打ち上げですわ」谷崎は答えると、
「面接って、次はどにいくんや?」と、前のめりで谷崎を見た。
谷崎は姿勢を正して、
「アルシオ・インターナショナル」と答えた。
「えっ!」
田嶋がさらに顔を谷崎に近づけて、
「ほんまか?」と訊いた。
「ええ」
谷崎は自信に満ちた表情で肯定した。
田嶋は姿勢を戻して、
「そうか、次はアルシオに移籍かいな」と両腕を組んだ。
「いやいや、面接が終わっただけで、まだ採用されるかどうかは、これからですけどね」と答える谷崎は余裕綽々の表情である。
「何をいうとるんや。谷崎さんなら100%、いやいやいや、これは失礼。1000%採用に決まっとる」
田嶋もこの流れを楽しんでいるように言う。
「あははは」
谷崎もこの雰囲気を楽しんでいる。
「今やアルシオは注目の的やからな。谷崎さんがアルシオに行くんやったら、ワイらも利用しやすくなるわ」
田嶋がちらっと坂井を見て、
「それで、このイケメンのお兄さんは?」と訊ねた。
「元同僚で一つ先輩の坂井さん。今日、一緒に面接受けたんですわ」
谷崎が坂井を田嶋に紹介する。
「ほ~っ。お兄さんもアルシオにいくんか?」
田嶋が坂井を観察するように見た。
「あ、いえ、まだ採用が決まったわけではないんですけど・・・」
坂井は遠慮気味に答えた。
「何をいうとるんや。谷崎さんと一緒に面接受けたんやろ。これはもう、採用のフラッグが立っとるで。すぐに採用ボーナス、ゲットや!!! お兄さん、自信持たなあかんで」
田嶋がガッツポーズで豪語した。
「あっ、はい、ありがとうございます」
坂井は田嶋の勢いに圧倒されて、
――どこからこんな言葉が出てくるんだろう・・・
と世界観の違いに驚くばかりだった。
「谷崎さん、今日はええ話し聞かせてもろうたわ」
田嶋がバーカウンターを見て、赤阪龍に何やら指でサインを送った。
「それはそうと、谷崎さん。今日はな、ワイらの恒例行事があってな、これからそっちに行かなあかんのや。ここで谷崎さんと一緒に飲んでる方が絶対に楽しいんやけど、これ飛ばしたら、どやされるだけで済まんからな」
田嶋が声のトーンを落とした。
「ええ、それは重々承知してますから。気にせずにどうぞ」
谷崎が両手を差し出して、送りだす仕草を見せた。
「そうか。すまんけど、今日は外させてもらう」
田嶋が軽く頭を下げて、
「まあ、今日はゆっくり楽しんでいって。飲み代はワイが持つさかい、遠慮せんと、好きなもん飲んでくれたらええわ」と、胸を張って、誇らしげに言う。
「いいんですか?」
谷崎の反応が早い。
「これは、アルシオ採用の前祝いや。受け取ってくれ」
田嶋が笑みを浮かべて言う。
「ありがとうございます」
谷崎は、これを待っていたかのように、満面の笑みで頭を下げた。
「その代わりに、アルシオがオープンしたら頼むで。ワイらみたいな輩は敬遠されるよってな。谷崎さんの力を貸してもらうわ」
田嶋が谷崎の目を凝視した。
「おまかせください。そんなん楽勝ですよ」
谷崎は右手で自分の胸を叩いて約束した。
「お兄さんも、よろしく頼むで」
田嶋は坂井の目を凝視した。
「はい。もちろんです」
坂井は、なんでこうなるの?と思いながらも、谷崎を見習って胸を叩いた。
「じゃ、行ってくるわ」
田嶋はそう告げると、エントランスへ向かった。
坂井琢郎はこのやりとりで確信した。
「このBARのオーナーはカタギじゃない!!!」と。
田嶋一臣が出て行った後、坂井が谷崎准宗を見て、
「ここって」と田嶋の素性を確認しようとしたが、谷崎は左の手のひらを坂井に向けて止めた。
そのタイミングで、赤阪龍と女性スタッフが近づいてきて、
「失礼します」と、一礼してから、女性スタップがトールシャンパングラスを谷崎と坂井の前に置いた。
「まずは、これかで始めましょう」
赤阪がシャンパンを二人の前に差し出した。
「おお、ピンドンやんか」
谷崎が声をあげて、
「うわっ、ほんまや」
坂井も思わず声をあげた。
ピンドンとは、ドン・ペリニョンのロゼのことである。
「アルシオ採用の前祝いです」
赤阪が笑顔で答えた。
「ほんまにええの?」
谷崎は恐縮することなく、喜びに満ち溢れている。
「はい、どうぞ楽しんでください」
赤阪がピンドンをグラスに注ぐ始める。
「谷崎さん。僕もアルシオがオープンしたら行ってみたいんですけど、いいですかね?」
赤阪が独り言のように言う。
「いいに決まってるやろ。絶対に来てや。ハハハ」
谷崎がソファーにふんぞり返って満面の笑みを浮かべた。
「谷崎さんは、ほんとに頼りになりますね。これからもよろしくお願いしますよ」
ピンドンを注ぎ終えた赤坂が頭を下げて、
「どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」
と伝えて、カウンターへ戻って行った。
その後、坂井琢郎と谷崎准宗は、それぞれの終電に間に合う時刻まで、アルシオ採用の前祝いの酒を満喫したのだった。
三日後、坂井琢郎のもとにアルシオ・インターナショナルから採用の通知が届いた。
その通知にこう記されていた。
「料飲部ビバレッジ・スーパーバイザー」と。
そして、谷崎准宗のもとにも採用の通知が届いていた。
これで、坂井と谷崎のアルシオ・インターナショナル採用が確定したのであった。

この物語はフィクションです




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