INTERNATIONAL vol.29

更新日:7月24日
INTERNATIONAL
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1996年12月6日
この日、国会議事堂の衆議院では、午前9時から予算委員会が行われ、予算委員会の全委員、全国務大臣、さらに、政府委員(各省庁の局長・審議官級の職員)が出席していた。
もちろん厚生大臣の大泉純三も出席している。
自優守護党所属の予算委員会委員の代表者から順に質疑が行われ、正午に午前中の質疑が終了して、現在、1時間の休憩タイムに入っていた。
住友博史は国会議事堂の衆議院の2階にある議員食堂の前で、大泉が出てくるのを待っていた。
住友のジャケットの内ポケットに収められたFDを大泉に渡すことが目的である。
臨時国会が招集されてから中2日、実質的に週明けの月曜日(12月2日)から衆参両院では与野党各々の思惑が交錯する審議の攻防戦が幕を開けた。
そして、この日、堺市学童集団食中毒事件で「犯人扱い」とも受け取れる調査報告を発表した厚生省に対して、「この発表によって甚大な被害を被った」として、カイワレ生産者たちとカイワレ生産関連の組織団体が損害賠償を求めて訴訟を起こしたのだ。
住友博史はこれを好機ととらえて、厚生大臣の大泉純三にアプローチを試みることに決めたのだった。
大泉純三は、聖和会の会長で大蔵大臣の八塚治と一緒に議員食堂に入った。
午後の予算委員会を控えている状況下で、食堂に長居することはないだろう。
住友博史は食堂の入口から少し離れた場所で待機し、様子を覗いながら、二人が別々に出てくることを期待していた。
しばらくして、八塚が先に食堂を出て大臣室へ直行した。
一間おいて、大泉が食堂を出て3階へ上り始めた。
おそらく3階の委員会室へ向かうようだ。
住友は足早に階段を上り、ひとけのない階段の踊り場で大泉に追いつき、「大泉大臣」と声をかけた。
大泉が立ち止まって住友を見た。
「大臣。例の堺市学童集団食中毒事件に関しまして、その当時、政務次官として関わった者として、大臣にお渡ししたいものがありますけど、よろしいでしょうか?」と、住友が切り出した。
「いきなり堺市学童集団食中毒事件って・・・何だよ?」
大泉が苦笑いで訊ねた。
「これです」
住友がジャケットの内ポケットからFDを取り出した。
「だから、何?」
大泉が3.5インチのメディアを凝視した。
「極秘の調査資料です。これは、この事件に関する訴訟の対応にも役に立つ情報かと思います」
住友が自信満々で言う。
「おっ、そうか・・・」
大泉は極秘という言葉に引かれたが、
「――だが、今ここでもらっても、ちょっとな・・・」と戸惑うふりをする。
この後、午後の衆議院・予算委員会が再開する状況で、住友に構っている暇はないからだ。
「では、大臣。いかがしましょうか?」
住友は落とし所を見いだそうとする。
「じゃ、事務室に行って、秘書に預けてもらえるか?」
大泉はこれで収めることにした。
「わかりました」
住友は素直に受け入れて、
「大臣。足止めして、すみませんでした」と頭を下げた。
大泉は足早に階段を上り始めて、住友は大泉の背中を見送りながら、
――上出来だ!!!
と、口元に笑みを浮かべていた。
だが、二人のやりとりを階段の陰から密かに監視している人物がいた。
その人物とは、自優守護党・宮岸派会長の宮岸善正である。
――ついにFDを使って動き出したか・・・
宮岸は渋い表情を浮かべて、住友に気づかれないように姿を消した。
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1996年12月6日 大阪の南船場
世間は忘年会シーズン真っ只中で、インターナショナル堂楽園ホテルも連日の大盛況ぶりに嬉しい悲鳴が飛び交い、とにかく慌ただしい空気感に包まれていた。
きも例外ではなく、今夜も予約で満席状態になっていて、坂井琢郎はディナータイムの準備に勤しんでいた。
だが、坂井はこの大盛況ぶりを素直に喜べない。
なぜなら、インターナショナル堂楽園ホテルの裏の顔はマネーロンダリングであり、社長の竹井剛三がカレデュノフ共和国の君主であるジムギルソンの直接の命により、長きに渡って実行していることを知っているからである。
この事を坂井に伝えたのは統括部長の武田勇だった。
坂井は、武田自身が活動費という名目の裏金を使ってマネーロンダリングに加担してることを知り、さらに、武田が坂井をこのマネーロンダリングに引き込もうとしていることを察知して、「何も聞いていない、何も知らない」という姿勢に徹して、現在の職務を全うしている。
忘年会からクリスマス、さらに年末年始へと続くこの期間は、このホテルにとって最も多くの収益を得られる繁忙期であり、このホテルで浄化されて、社長の竹井からカレデュノフ共和国へ送金される金額も確実に増加するのである。
この実態を知っている坂井には、このホテルの大盛況ぶりを喜ぶことなどできないのだ。
そんな坂井であるが、今、坂井の胸の中に光りが射していた。
昨夜のこと。
坂井琢郎が仕事を終えて帰宅すると、アルシオ・インターナショナルから採用試験の第3ステージの通知が届いていた。
坂井はソファーに腰を埋めて、通知の内容を確認した。
年末年始の多忙な時期を避けて、1997年2月初旬に開業準備室にてディヴィジョン・ヘッドとの面談が行われると記されていた。
坂井はこの内容に身体を震わせた。
もし坂井が採用された場合、当然の如く、アルシオ・インターナショナルのどこかの部門に配属されることになる。
第3ステージがその部門長との面談ということは、坂井に求められる職務と業務、すなわち具体的な役割などが面談の内容になるだろう。
坂井は「これって、採用にものすごく近づいたってことだろ!!!」と感じて、身体を震わせたのだった。
アルシオ・インターナショナルという一つの星が坂井の胸の中に現れて、「さあ、目指せ!!!」と導くように強く輝き始めていた。
決して浮かれてはいけない。
誰にもアルシオ・インターナショナルへのチャレンジを知られてはいけない。
坂井は自身を律して、淡々とテキパキと、いつものようにディナータイムの準備を進めていた。
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1996年12月6日
時を同じくして、東京の永田町。
衆議院議員会館の大泉純三の事務室を訪ねた住友博史は、応接スペースで秘書の八重垣衛(ヤエガキマモル)と対面していた。
今、衆議院では、午後の予算委員会が行われていて、午後6時まで続く予定である。
厚生大臣の大泉もその予算委員会に出席していて、事務室にはいない。
「――大臣がこれを秘書に預けておいてくれと申されまして・・・」
住友がFDをローテーブルの上を滑らせて八重垣の前に差し出した。
「大臣がこれを?」
八重垣は3.5インチのメディアを見下ろした。
「はい」住友は頷いた。
八重垣はFDに視線を落としたまま、
「住友先生、これはWindowsで開けるのかね?」と訊ねた。
「もちろんです」住友が即答した。
1995年11月、日本でWindows95が発売された。
これを機に、現内閣総理大臣の阪本竜蔵が情報技術の導入と普及に注力し、IT産業の発展の後押しして、発売から1年、国会議員の多くがWindows95を使用するようになっていた。
八重垣は数回頷き、「このデータの内容について、大臣には?」と訊ねた。
「はい」
住友は頷いて、
「堺市学童集団食中毒事件に関する調査資料、とだけ伝えてます」と答えた。
「ほう、そうか」
八重垣は感心した表情で、
「今のこのタイミングでか・・・」と呟き、FDを手に取った。
八重垣は、大泉が1972年の衆議院議員総選挙で初当選した時に大泉の秘書になり、今日までずっと大泉に仕えてきた。
八重垣は、大泉が最も信頼を置いている秘書であり、大泉は、事ある毎に八重垣に相談し、答えを見つけてきたのだ。
この臨時国会が始まったばかりというタイミングで、堺市学童集団食中毒事件関連の訴訟が起こり、厚生大臣として訴訟の対応責任を求められることになった大泉から相談を受けている八重垣は、住友が持ってきた調査資料の中に、何か役に立つ情報が埋もれているかも知れないと考えて、
「大臣が戻られたら、必ずこれをお渡ししますよ」と伝えた。
「よろしくお願いします」
住友が頭を下げて、立ち上がった。
八重垣も立ち上がり、「ご苦労様でした」と頭を下げた。
大泉純三の事務室を後にした住友博史は、浮かれ気分でロックンロールの如く、鼻歌交じりで自分の事務室へ向かった。
――これであの事件の真相が世に知れ渡るぞ!!!
住友はそう信じて疑わうことなく、足取りも軽かった。
だが、エレベーターで下り、自分の事務室がある階に降り立った住友は、思わず「えっ」と声をあげて、表情をこわばらせた。
住友を待ち構えていたのは、まるで鬼のような形相をした宮岸善正であった。

この物語はフィクションです



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