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INTERNATIONAL vol.27

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 3月18日
  • 読了時間: 6分

INTERNATIONAL


(47)


 1996年11月15日

 インターナショナル堂楽園ホテルの鉄板焼きは、憶測と戸惑いが行き場を失い、店内を交錯しながら飛び回っていて、落ち着きのない空気感に包まれていた。

 その原因は、20分ほど前に来店した辻井元高が女性と同伴だったことに端を発している。


 去る1996年11月8日、坂井琢郎は新聞の記事を見て、辻井元高が新内閣において通商産業政務次官の職を外れたことを知って不安を覚え、複雑な心境でインターナショナル堂楽園ホテルに出勤した。

 従業員全員が国会議員の辻井元高のポジションなどを気にしているわけではないが、幹部をはじめ、このホテルと辻井元高の真の関係を知る者たちは、動揺や戸惑いなどで各々の職務に影響がでる可能性もあるだろう。

 坂井はそう考えていたが、いざ出勤してみると、従業員たちはいつも通りで、何の変化も見られなかった

 坂井は「ちょっと考えすぎたかな」と思い直して、平静を保ちこの一週間を過ごしてきたのである。

 だが、まさに今!!!

 このホテルは騒然とした空気に包まれている。


 20分ほど前、辻井元高が女性と一緒にホテルに入って来た瞬間、フロントスタッフ全員が唖然として硬直状態に陥った。

 辻井の横で目立ちまくっている女性は、辻井の妻でも娘でもないからだ。

「ーーこの女性は誰?」

 フロントスタッフたちが無言で視線を送り合い、「誰が対応する?」と確認している。

 このようなケースの場合、「見ざる・聞かざる・言わざる」が鉄則だろうが、辻井の場合はそういうわけにはいかない。

 このホテルにとって辻井は、『超』がつくVIPゲストであり、スルーできる人物ではなかった。

 こういう時こそ頼りになるのが、フロントアテンダントの清水恭子である。

 清水は率先して辻井に近寄り、「辻井先生、お帰りなさいませ」と挨拶した。

 辻井は人差し指で上を指し、「おお、清水君。いつもありがとう」と今まで通りの笑顔を見せた。

 清水は辻井の横にいる女性に「本日はご利用ありがとうございます」と頭を下げて、「ご案内いたします」と伝え、エレベーターホールへ案内した。

「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」

 清水が頭を下げると、扉が閉まり、エレベーターが上昇し始めた。

 マネージャーの徳永学が、その様子を確認しながら受話器を持ち、

「今、辻井先生が女性を連れて上にあがったから、対応よろしく」と連絡した。

 清水がフロントに戻ると、コンシェルジュの濱田冴子(ハマダサエコ)とベルボーイの元木裕太(モトキユウタ)がフロントにいて、「マネージャー、今の誰ですか?」と声を揃えて徳永に訊ねていた。

「いや、知らない。たぶんこのホテルの利用は初めてだろう」

 徳永が即答した。あれだけの存在感を放つ女性客を見たら、決して忘れることはないから断言できる。

「そうですか・・・」

 濱田と元木はこの女性のことが気になって仕方ないようだ。

 清水がそんな二人を諭すように「さあ、自分の持ち場に戻りましょう」と促した。

「辻井先生が女性を連れてきた」

 あっという間にこの情報がホテルの従業員たちに伝わり、ホテルはこの話題で騒然となったのである。


 坂井琢郎はいつものAカウンターの席に座っている辻井元高の左隣に座っている女性に惹き付けられていた。

 鮮やかなレッドのジャケット、ベージュのスカート、ベージュベースでトゥとヒールがブラックのパンプス、さらに、さりげなく左肩に掛けているブラックのポーチ、すべて「ダブルC」で統一されている。

 ーーこのコーデだけで、いくらするんだよ・・・

 どう見ても一般庶民とは思えない。

 その上、光沢のある黒髪で上品なひし形のショートボブがよく似合うマダムの雰囲気、鼻筋が通っていて、口は小さく、目は二重まぶたのアーモンドアイで、パッチリした瞳に穏やかさと強さを秘めている。

 女性の年齢を推測したくないが、この女性の年齢はおそらく40歳半ばぐらいだろうと、坂井は感じていた。

 坂井がこの女性に惹き付けられているのは、外見だけではなかった。

 それは、この女性の言葉づかいである。

 この女性は、まったく癖がなく、まるでアナウンサーが原稿を読んでいるような標準語で話している。

 さらに、この女性は、常に穏やかで、辻井の話をよく聞いていて、笑うところは笑う、返すところはちゃんと返すが、馬鹿笑いはせず優しい微笑みで辻井の期待に応え、返す際にも穏やかな瞳でさりげなく核心を突いて、辻井を納得させている。

 坂井は、「日常でも感情に左右されることなく、常にこの言葉遣いで話せるように特別な訓練を受けているのではないか」とさえ感じていた。

 焼き手はいつもの通り窪田誠司だったが、さすがに今日に関しては、今まで通りの会話が出来ず、戸惑っている様子で、やり難いオーラーが膨らんでいる。

 今まで、辻井が家族以外の女性を連れてきたことは、一度もなかったからだ。

 辻井とこの女性との会話に「間」が生まれた。

 窪田が坂井に視線を送った。

 坂井は窪田の強い目力に反射的に仰け反って、「なんとかしろってことか」と唇を噛みしめた。

 そのタイミングで、女性が坂井の方を向いた。

「えっ・・・」

 坂井は仰け反っている姿を見られて焦ってしまい、一歩が踏み出せずに戸惑った。

「ソムリエさん」

 この女性が右手でワイングラスを持ち、赤ワインを少し味わってから、

「このチョイス、素敵ですね」と穏やかな表情を浮かべて、

「初対面なのに、どうして私の好みが分かったんですか?」と訊ねた。

「あっ・・・いや、それは・・・」

 坂井が頬をひきつらせるタイミングを待っていたかのように、辻井が坂井を凝視して、

「なんの遠慮もいらんで。ほんまのこと言うたり」と煽った。

 窪田だけでなく、川崎紀夫と篠崎啓二、さらに厨房から加藤光輝が顔を覗かせて、坂井の答えに期待した。

 そして、この女性の瞳にも優しい期待が浮かび上がっていた。

「はい」

 さすがに辻井には逆らえないと覚悟した坂井は、大きく息を吸ってから、

「その鮮やかなレッドのジャケットがとてもお似合いでしたので、直感的に女性的で華やかで、優美さを持ち、さらに繊細さを兼ね備えたワインをチョイスしました」

 と真面目に答えた。

「・・・」

 窪田、川崎、篠崎、そして、加藤が揃って唖然として、顔をしかめた。

すかさず、辻井が「坂井君。ここはボケなあかんやろ!!! 空気読めよ」と笑いを押さえこんでいる。

「いえ、一応、ボケたつもりなんですけど・・・」

 坂井は真面目に答えた。

「アホか。ボケるどころか、めっちゃ褒めとるやないかい。ほんま笑うしかないわ」

 辻井が腹を抱えて大笑い。

 それに便乗して焼き手が揃って大笑い。

 だが、この女性は大笑いすること無く、

「フフフ、坂井君。純粋すぎて面白い」

 淑やかに笑みを浮かべてワインを一口味わって、

「私にピッタリのワインをありがとう」

 と優しい口調で坂井に伝えた。

 これが切っ掛けとなって、鉄板焼きの空気感が変わり、焼き手たちは今まで通り、辻井と会話を弾ませるようになった。


「本日はありがとうございました。お気をつけていってらっしゃいませ」

 坂井琢郎はエレベーターホールで辻井元高と同伴の女性を見送った。

 鉄板焼きで会話が弾む中、辻井がこの女性を「ユキコ君」と呼んでいた。

 だが、ユキコという女性の正体が明かされることはなく、もちろん辻井との真の関係も明かされないまま、二人はインターナショナル堂楽園ホテルを出発された。

 今日という日、このホテルを騒然とさせた一人の女性「ユキコ」のファーストインプレッションが、坂井の脳裏に刻み込まれ、この先、脳裏から消えることはなかった。

 そして、後に、このユキコという女性の存在が坂井を裏の世界から解放してくれることになろうとは、この時点で、坂井は知るよしもなかった。



この物語はフィクションです


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