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INTERNATIONAL vol.19

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月19日
  • 読了時間: 6分

INTERNATIONAL


(32)


 1996年8月23日

 坂井琢郎が目を覚ました。

 頭の中がぼーっとして、記憶も朧気で、昨夜のことが思い出せない。

「ん・・・」

 坂井は身体を起こして、ベッドではなくソファーで寝ていたことに気がついた。

 昨夜は、帰ってきて、とりあえずソファーに腰を下ろして、

「・・・」

 そのまま寝落ちしたようだ。

 坂井は時計を見た。

「げっ、もう昼じゃん」

 坂井はまずシャワーを浴びて、頭をすっきりさせようと思い、バスルームへ向かう。

 身体がフワフワして、力が入ってこない。

 坂井は無気力状態だった。

 厚手の遮光カーテンを開けて、レースだけにすると、リビングはとても明るい。

 坂井はシャワーを浴びて、トランクスだけの姿でソファーに座り、バスタオルで上半身を拭いていた。

 リビングの中央にガラスのローテーブルがあり、ローテーブルを挟んでソファーとテレビ台、そして、カラーテレビはブラウン管方式の21型だった。

 リビングにあるのはこれだけだった。

 リビングとダイニングを仕切る引き戸は全開にしていて、繋がった状態にしていた。

 ダイニングテーブルは無く、ワンドドアの冷蔵庫と単身者向けの細長い食器棚があるだけで、広くてシンプルな空間になっている。

 他に寝室があり、シングルベッドと小型のクローゼット、書籍用にカラーボックスを置いていた。

 寝室に大きめの押し入れがあり、他の物を収納していた。

 あとは、洗面所にある洗濯機用のスペースに小型の洗濯機を置いていた。

 妻帯者用のコーポを借りているが、単身の坂井の所有物から見ても、このコーポは広すぎるのだ。

 所有物が少ないのは、阪神淡路大震災で被災した影響で、これは仕方ないことだ。

 それはそれとして、神戸から岸和田に引っ越す際にワンルームを探したが空きが無く、このコーポを選んだが、ワンルームと比べると、家賃は雲泥の差があるのだ。

 だが、今は、明るくて余計な物がないスッキリした空間が気に入っている。

 坂井は、いずれは引っ越すことになるだろうと思っているが、しばらくここに住んでいたいと思っていた。

 シャワーを浴びて、頭がスッキリのはずが、何も考えれれなかった。

 今日、ホテルの仕事は休みである。

 これは分かる。

 だが、それ以外のことは何も分からない、何かしようと思う気も浮かんでこない。

 坂井は完全に無気力状態に陥っていた。

 明るいリビングのソファーに座って、テレビの電源スイッチを入れても、坂井は画面を見ているだけで、内容は素通りしていくだけだった。

「あっ、そうだ。新聞・・・」

 坂井は立ち上がって、新聞を取りに行った。

 玄関のドアのポケットに入っている新聞を取り、リビングのソファーに座る。

 しばらく、坂井は新聞の記事に目を通していたが、内容は通り過ぎるだけだった。

 今は昼食の時間帯だが、食欲はなかった。

 坂井は、新聞の片隅に掲載されている求人広告に目を止めた。

 坂井の中で、無意識に反応したようだ。

 それは『アルシオ・インターナショナル』の求人広告だった。

 世界の5スターホテルの中でも最上位にランクされているラグジュアリーホテルで、来春、日本に初進出し、大阪の梅田で開業予定だった。

「アルシオ・インターナショナルか・・・」

 坂井は小さな求人広告を見つめていた。

 坂井が、アメリカに本部を置き、世界中でチェーン展開している最高級のホテルに興味を示すのは当然のことだろう。

「同じインターナショナルなら、アルシオの方が絶対にいいよな」

 坂井はそう呟き、蘇り始めた昨夜の記憶に意識を寄せた。


 昨夜、脅しともとれる武田勇の言葉に恐怖を感じて、篠崎の具体的な言葉を思い出し、急に身体が震えだした。

 坂井は耐え切れなくなり激しく嘔吐した。

 その後、記憶がプツンと途切れた。

 昨夜のことをすべて心の奥底に封印するように!


 坂井は考えていた。

 今日は休みで、明日は何もなかったように出勤する。

 そして、何も知らないふりをして、業務に就く。

 鉄板焼きの準備をして開店、利用客をもてなして、ワインを売り、料理代と併せて、代金をいただく。

 そのカネは、やがてメインバンクを通じて、カレデュノフ共和国へ送金される。

 坂井がこのホテルで働き続けて、いつか課長職になれば、活動費という意味不明のカネが割り当てられて、実質的にマネロンに手を染めることになる。

「さて、どうする?」

 坂井はマネロンに手を染める前に、このホテルを脱出した後のことを予測した。

 裏の組織の何者かが坂井のもとへやってきて、ズドーンと一発か、それとも拉致か。

 とにかく坂井の人生は終わるだろう。

「どうせ終わるんなら、アルシオに挑戦してもいいのでは・・・」

 坂井はそう思った。

 心の中では、「堂楽園を去りアルシオに行け」と騒ぎ立ている。

 坂井は目を閉じて、心の声に寄り添った。

 坂井は目を開けて、再びアルシオ・インターナショナルの求人広告を見た。

「よし、応募してみよう」

 坂井は決めた。

 履歴書はワープロのデータに保存している。

 現在、インターナショナル堂楽園ホテルに勤務していることを隠すことはしない。

 正直に職歴に追加し、アウトプットして、顔写真を添付して履歴書は完成した。

 あとは、別途、志望の動機を詳しく記した文書を作成し、履歴書に添えて、人事課の採用担当者宛に送付するだけである。

 坂井はワープロの新規作成画面を開いて、今日はまだ何も食べていないことに気づいて、

「腹が減っては戦はできんな」と呟き、ダイニングに入った。

 いきなり坂井のインターナショナル堂楽園ホテル脱出作戦が始まった。

 応募だけで何も返答がないかもしれない。

 たとえ採用試験に漕ぎ着けたとしても、採用されるのかどうか分からない。

 だが、坂井にとってこれしか選択肢はなかった。



(33)


 1996年8年24日

 地下鉄御堂筋線の心斎橋駅から真上の御堂筋に上がった坂井琢郎にビル風が襲いかかった。

 どんよりした曇り空、北寄りの風、未明に降っていた雨はあがっているが、湿度が高くて、気持ち悪く感じる天候だった。

 坂井は、これからインターナショナル堂楽園ホテルに出勤する。

 一昨日の夜のことは封印して、

「何も聞いていない、何も知らない」で通すことに決めていた。

 そう割り切らなければ、とても業務に携わる気持ちにはなれない。

 坂井は歩道を北へ進み、一つ目の角を右に曲がった。

 少し先の左側に赤い郵便ポストがあった。

 坂井は、その郵便ポストに近寄った。

 坂井は郵便ポストの前に立って、左右を確認した。

 今は、他の従業員たちも出勤する時間である。

 坂井は近くに他の従業員がいなことを確かめてから、バッグから封筒を取り出し、すぐに郵便ポストに入れた。

 坂井はゆっくり歩き始めた。

 このとんでもないホテルから脱出する作戦が始まっている。

 誰にも知られずに進めることができるのだろうか。

 それに成功するのかどうかさえもわからない。

 上空の空模様は坂井の心模様に似ていた。

 ビルの影響でいろいろと方向を変える強い風は、坂井を待ち受けている苦難の連続を暗示しているのだろうか。

 坂井は、「とにかく前に進むことだけを考えよう」と覚悟を決めていた。


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この物語はフィクションです


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