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INTERNATIONAL vol.20

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月20日
  • 読了時間: 9分

INTERNATIONAL


(34)


 1996年9月3日

 月が変わり、坂井琢郎はアルシオ・インターナショナルからのリアクションを待っている状況で、気持ちが落ち着かない日々を送っていた。

 鉄板焼きでは、Aカウンターの厨房側の端の席に、一人の男性が座っていた。

 坂井がインターナショナル堂楽園ホテルに入社してから、その男性を見たのは初めてだった。

「今日はな、神戸のある物件が手に入ったんや。所有者のババアが頑固でな、時間がかかってもうたのは誤算やったけど、今日、決着がついて、ほんまによかったわ」

 その男性が大袈裟に話す。

「そうですか。これでまた青木さんの株があがるんとちゃいます?」と、篠崎が言う。

「ええこというてくれるやん」

 青木が嬉しそうな顔をして、

「オレはお宅の社長はんを尊敬しとるんや」と断言した。

 ーーああ、そうか。社長についてる地上げ屋ってことか・・・

 坂井は武田勇の話を思い浮かべて、

 ーーまあ、どうせ悪戯な事して取り上げた物件だろ!

 と思った。

 坂井は、この青木という地上げ屋のことは篠崎に任せておこう、と思い、他の客の対応に専念することにした。

 米沢牛のA5を味わっている時に、地上げの自慢話みたいな会話が耳に入ってくれば、嫌な気持ちになり、居心地も悪くなるだろう。

 しかも、ウチの社長との関係まで話されると、ホテルのイメージも低下する。

 坂井は、ホテルの裏の顔、正体のことを知らず存ぜぬで貫くことに決めているが、利用してくれている客の気持ちを察して、しっかり対応していこうと思った。



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 翌日の1996年9月4日。

 坂井琢郎が帰宅すると、アルシオ・インターナショナルから封筒が届いていた。

 アルシオ・インターナショナルの採用試験に応募してくれたことへの感謝の気持ち、そして、今後の採用試験の進め方などの説明文書が入っていた。

「よし、これで採用試験に挑戦することができる」

 坂井は胸が踊るのを感じて、

「なんとしても採用されたい」と強く願った。


 採用試験の第1ステップは、1996年9月26日に坂井の自宅で行われ、当日の16時に採用担当者から電話がかかってくると記されていた。

 その電話で、様々な質問に答えるという内容だった。

 もちろん質問の内容は、当日、電話がかかってくるまで分からない。

 坂井は、予期していなかった第1ステップの内容に驚くばかりだった。


 この日から、坂井はどんな質問なのか、その内容を想像するようになった。

 坂井はワインを主体に勉強していたが、一応、ホテルマンの教育に関する書籍も数冊持っていた。

 この書籍は、一度か二度、開いただけで、改めて内容を思い出そうとしても、ほとんど浮かんでこなかった。

「これじゃいかん」

 坂井は思い立って、この書籍を読破することにした。

 今更ながらという感じもするが、なんとしてでも第1ステップを突破したいという坂井の強い気持ちがそうさせていた。

 さらに、坂井自身が購入したものではなく、以前勤務していたホテルの先輩から譲り受けた書籍も読むことにした。これは、ホテル業界でよく耳にするホスピタリティとは異なる、職場の人間関係のモデルや職場に限らず人と人の関わり方などに焦点を当てた内容で、坂井はこの書籍を譲り受けてから、まだ読んだことがなかった。


 アルシオ・インターナショナルの採用試験の第1ステップは電話での質問形式という異例とも思える内容で、声だけで応答して、会うことなく落とされて「残念でした」というのは「どうなのか」と、坂井には思えたが、この第1ステップを突破しなければ、後がなくなり人生の崖っぷちに立たされる、これは避けたいところである。

 坂井は、ワインやソムリエ関連の資料を好んで読んでいるが、人間関係となると、そう簡単なことではないと感じていた。

 やはり、あの静岡のホテルの時代、武田勇の浮気を隠蔽する工作に加担させられて、今は、インターナショナル堂楽園ホテルの裏の顔に引き込まれている現実を考えても、人間関係モデルは絵に描いた餅でしかないと思えるが、坂井には、この採用試験を突破すること以外、坂井自身が救われる道はない!!!とさえ思っていた。

 坂井は覚悟を決めて、苦手な書籍を読み続けていた。



(36)


 1996年9月10日。

 坂井琢郎がインターナショナル堂楽園ホテルに入社してから3ヶ月が過ぎた頃から、フランス料理の江藤慎二(エトウシンジ)と福井颯太(フクイソウタ)から誘われることが増えていた。

 鉄板焼きのワインの売上が大幅に上昇したことで、坂井から何かワインに関することを引き出そうとしているのかも知れないが、そんな空気感は感じられなかった。

 勤務が終わってから終電までの間、心斎橋にあるワインバーでヴィンテージンものの赤ワインを一緒に愉しむという趣旨のように感じた。

 江藤はフランス料理のマネージャーで35歳、短髪で丸いメガネをかけていて、温厚な口調でユニークな話をする安心できる先輩という感じだった。

 福井は坂井と同じような背格好で好感度が高いソムリエとして存在感を発揮していた。


 地下鉄御堂筋線心斎橋駅からそう離れていない場所、御堂筋の1本西側の通りの、あまり目立っていないビルの地下に隠れ家的なワインバーがある。

『フリュイデフォンデユ』という店名だが、そのビルの地下へ下る階段の入口に設置されているネオンサインに店名は記されていない。

 明るい赤のライトで描かれたワイングラスだけが闇に浮かんでいるだけだった。

 薄暗い階段に柔らかい赤色系のラインが地下へ伸びている。

 坂井は、初めて江藤にこのワインバーに連れてこられた時、この階段の空気感だけでこのワインバーも『裏の世界』に関わっている店だろうと直感した。

 地下の降りてそのまま通路を奥まで進むと、左側に入口があり、重厚な扉に明るい赤のライトがワイングラスを描いていた。

 扉を引いて店内へ足を踏み入れると、右側にカウンター席があり、店内の奥まで伸びている。

 左側の壁に沿って、4人がけの小ぶりのテーブルが並んでいる。

 カウンターの中、壁に埋め込まれるようにワインセラーが並んでいて、赤いライトがセラーの中を優しく照らしている。

 カウンター席もテーブル席も、天井からレーザータイプのスポットライトが、円を描いてワイングラスを照らしている。

 間接照明は少なく、色合いの強弱をつけた赤いラインのデザインが、店内に妖艶な雰囲気を与えているが、ワインを堪能する客の邪魔をしないように気遣っている。

 坂井は店内に入った瞬間、あの高級ラウンジ「ルージュ・セリーズ」を思い浮かべた。

 ーーこの空気感、おそらくデザイナーが同一人物だろう。

 坂井はそう思った。

「テーブルにしよう」

 江藤に促されて、入口に一番近いテーブルに座った。

 坂井と福井が並んで座り、江藤が座るのと同時に、

「今日は泡にしようか」と言った。

 ここでいう『泡』とは、シャンパンのことである。

「いいですね」

 福井が即答して、坂井も頷いた。

「久米ちゃん」

 江藤が手をあげて、カウンターの中で仕事をしている女性を呼んだ。

「はい」

 久米翔子(クメショウコ)がカウンターから出てきて、

「今日は何にしましょうか?」と笑顔で訊ねた。

 面長で眺めの髪を頭の後ろで束ねていて、白のブラウスと黒のパンツ、黒ベストと黒のエプロンを着用し、黒のパンプスというソムリエールの格好が板についている。

 左胸でさりげなく存在感を示しているバッジが、久米がソムリエ呼称認定試験に合格していることを示している。

「サロンある?」

 江藤はさらっと訊ねた。

「はい。82年ですけど、よろしいですか?」

 久米は自信満々で即答して、

「じゃあ、よろしく」

 江藤が承諾し、

「サロンですかぁ」

 福井が笑みを浮かべた。

 坂井は、ーーえっ、いきなりサロンって? 目を丸くして、まだ味わったことのない最上級のレアなシャンパンに驚くばかりだった。

 スポットライトがきめ細やかな泡がシャンパングラスの底から真っ直ぐに昇っていく様子を浮かび上がらせていた。

 坂井は初めて見るサロンの泡に釘付けになっていた。

「坂井君。そろそろいいかな」

 江藤が声をかけた。

「あっ、すみません」

 坂井は泡から目を離して、

「初めてなんで」と苦笑いで言う。

「そうか」

 江藤が得意げな表情を浮かべて、

「しっかり味わえよ」とグラスをあげる。

「はい」

 坂井が泡を見ながらグラスをあげて、福井もグラスをあげた。

 坂井は極上のブラン・ド・ブランに言葉を失った。

 繊細なのにふくよかで、エレガントで力強さも感じられる。

 坂井の味覚が優れているとは、坂井自身は微塵も思っていないが、初めてサロンを味わって、そう感じた。

 まさに至福のひととき! 坂井はすっかりサロンに酔いしれていた。


 至福のひとときは、あっという間に過ぎ去った。

「さあ、帰るか」

 江藤がきりだした。

「そうですね」

 福井が腕時計を確認して、「ちょうどいい時間です」と言う。

 坂井はこの段になって、「支払い」のことが気になった。

 江藤は久米から会計伝票を受け取ると、「1万円ずつね」とさらっと告げた。

 ーー割り勘で、1人1万円。この店ではサロンを3万円で提供しているの?

 坂井は、もっと高いだろう、と思いながら、1万円札を江藤に渡した。

 同じタイミングで、福井も1万円札を江藤に渡した。

 江藤は席を立ち、店の奥のレジの方へ歩いて行く。

 坂井は江藤の後ろ姿を目で追いながら、ハッとして、

 ーーいや、ここってマネロンの店だろ!

 と、武田勇の話を思い浮かべて、裏のからくりをイメージした。


 フランス料理のマネージャー、江藤は管理職である。

 すなわち活動費という名目の裏金が割り当てられていて、マネロンに協力している組織関係の飲食店舗などで浄化されて、カレデュノフ共和国へ送金される。

 江藤が常連客として利用しているこのワインバー『フリュイデフォンデュ』も、その飲食店舗の1つだろうと坂井は直感的にそう思っていて、今、会計をしている江藤が領収書をもらう様子を覗っていた。

 坂井と福井は、江藤に言われるがままに1万円を渡した。

 支払いには江藤に割り当てられたマネロンのカネが使われて店から領収書をもらう。

 坂井と福井から徴収した合計2万円は、江藤のポケットマネーになることは、もはや明確である。

 ーー福井はこの現実を知っているのだろうか?

 坂井は「他言してはならない裏の世界と縁を切りたい」と強く願うばかりであった。


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この物語はフィクションです



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