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INTERNATIONAL vol.15

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月17日
  • 読了時間: 9分

INTERNATIONAL


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 1996年8月9日夜

 インターナショナル堂楽園ホテルの鉄板焼きでは、辻井元高が米沢牛のサーロインを堪能していた。

 連日のように報道される続けている堺市学童集団食中毒事件は、先日(8月7日)の記者会見で、厚生大臣の菅沼尚人の発言が波紋を呼び、さらに騒がしくなっていた。

 全国のスーパーなどからカイワレが姿を消し、カイワレ農園関連の団体が厚生大臣に対して抗議の声をあげたのだ。

 鉄板焼きは、牛肉をメインに取り扱う飲食店舗であり、主として牛がO157を保有していることから、何らかの影響を受けるものと注視していたが、この鉄板焼きは、以前と変わらず、今日も開店直後からAカウンターもBカウンターもほぼ満席状態になっていた。

 辻井は毎度のように忙しい時間帯を避けて鉄板焼きを訪れている。

 お約束通り、日本料理の女将の沢口多恵子が辻井に絡んで押し問答を繰り広げ、互いの気が済むと、沢口はさっと引き上げていった。

 今日は、窪田誠司が休みで、辻井の対応をしているのは、篠崎啓二である。

 篠崎は7月下旬に問題を起こしたが、その後、何もなかったように仕事を続けている。

 だが、対象の相手、専門学校の研修生はこのホテルに来ることはなかった。

 坂井琢郎は、よくわからないまま収まったことに違和感を感じているが、言及することなく、普通に篠崎と接していた。

「先生。食中毒の犯人がカイワレってほんまですか?」篠崎が辻井に訪ねた。

「そんなわけないやろ」辻井は否定し、

「嵌められたんとやうか」と言う。

「そうですよね。一昨日の発表には違和感しか感じません」篠崎も同調する。

「あの大臣の発表でカイワレ業界はえらい目に遭っとるしな」

 辻井はロックグラスを持ち、バランタイン30年を一口飲んだ。

「そうですよ。あの発言でいきなり消えましたからね」

 篠崎は、翌日には最寄りのスーパーからカイワレが消えていたことを話した。

「あの大臣はこうなるってわからんかったか。このままやったら、カイワレ業界は潰れるど。通産省も知らんふりできへん。救済に動かなあかんな」

 辻井は通商産業政務次官として、いろいろ対策を考えているようだ。

 坂井は二人の会話を聞きながら様子を覗っていた。

 坂井はまったく政治に関心がなく、今まで1度も選挙の投票に行ったこともない。

 坂井の頭の中は、ほぼワインのことで一杯だった。

 だが、このホテルで国会議員の辻井と接するようになったことで、政治のことを知らな過ぎる自分のことを恥ずかしく思うようになった。

 今、目の前で辻井と会話している篠崎を見て、坂井はワインの魅力に惹かれてから、ワインのことばかり考えて、他の大事なことに目を背けていたことを反省していた。



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 時を同じくして、東京の永田町。

 厚生大臣の菅沼尚人が、厚生政務次官の住友博史の説明を聞いていた。

一昨日の発言に端を発した抗議の連続を重く見た菅沼は、住友と厚生事務次官と抗議の対応を話し合っていたが、これと言った名案も浮かばず仕舞いで、先ほど厚生事務次官が帰宅した。

 この機会を待ってましたとばかりに、住友が堺市学童集団食中毒事件の独自調査と検証のレポートを菅沼に渡したのだ。

 菅沼はこのレポートを見た瞬間、「おい、住友君。このテロってなんだ?」とレポートの表題を何度も見て、「ドラマかなんかと勘違いしてないか?」と苦笑い。

「いえ、これが真相だと考えております」住友は否定して、「説明します」と、やる気満々の表情で、レポートの説明を開始した。

 菅沼は、聞くだけ聞いてやろうと心内でつぶやき、無言で説明を聞いていた。



「説明は以上です」

 住友がレポートについて一通りの説明を終えると、

「ご苦労。まあ、よく調べたもんだ」

 菅沼は感心した様子である。

「今年の5月から立て続けにO157の集団食中毒が発生していることに疑問を持ち、それぞれ単体で考えるのではなく、堺市の大規模な集団食中毒につながる線をイメージして調査と検証を行った結果、このレポートになりました」

 住友は得意げな表情を浮かべている。

「それは理解した。それで、どうしろと?」菅沼が訊ねた。

「もちろん白日の下に晒すんです。これが大臣のご意思だと考えております」

 住友は菅沼に公表させようと促す。

「それは無理だよ、住友君」

 菅沼はあっさりと切り捨てた。

「えっ、なぜですか?」

 住友は拍子抜けした顔で訊ねた。

「テロは厚生省の管轄じゃない。公安や警察の仕事だろ」

 菅沼は正論を告げた。

「あっ・・・」

 住友は唖然として言葉を失った。

「まあ、そう気を落とさなくてもいいだろ」

 菅沼は住友をフォローする。

「でも・・・」住友は落胆したままである。

「まあ、気持ちはわかるが、それは置いておいて、このレポートのこと、他の誰かに話したりしてないよな?」菅沼が確認する。

「はい、誰にも。これは大臣のために作成したものですから」住友は答えた。

「そうか。せっかくだから、このレポートはこちらで預からせてもらおう」

 菅沼はレポートを手にとった。

「どうぞ」

 住友は口には出さないが、このレポートの使い道に期待を寄せた。

「内容が内容だけに、このことは誰にも漏らさないように」

 菅沼が念を押して、

「しばらく抗議の対応に追われるだろうから、住友君も対応に協力してくれ」と、住友に依頼し、住友は「わかりました」と承諾した。



(28)


 1996年8月10日夜

 東京の赤坂は、昨今、世間を騒がせている集団食中毒の余波をもろともせず、多くの客で賑わっていた。

 異様な文字が妖艶な彩りで客を惹きつけている通りにある高級料亭の一室では、厚生大臣の菅沼尚人と自由守護党の宮岸善正が密会していた。

 この料亭は大物国会議員たちが秘密裏に利用している政治家御用達の店である。

 まだ密会が始まったばかりで、夏の前菜『魚介類のカルパッチョ風』がテーブルを彩り、よく冷えたビールがノドの乾きを癒やしたところである。

「まさか、大臣からお呼びがかかるとは」

 宮岸が空になったグラスを置いて、

「さて、何を企んでおられるのかな?」と口火を切った。

 菅沼は宮岸のグラスにビールを注ぎながら、「それは追々に」と軽く流す。

「ウチの政務次官は、会長のお弟子さんでしたね」

 菅沼がビールを飲み干した。

「ああ、そうだとも。彼は役に立ってるかね」

 宮岸が菅沼のグラスにビールを注ぐ。

「ええ、よくやってくれてますよ」

 菅沼がビールを一口飲んで、

「やり過ぎぐらい頑張ってくれてます」と住友博史を称える。

「ほ~、そうか」

 宮岸もビールを口に運ぶ。

「その自慢の政務次官が作成したレポートなんですがね」

 菅沼が書類を取り出した。

 宮岸はそのレポートを凝視して、「それは何のレポート?」と訊ねた。

「今、世間を騒がせている集団食中毒のレポートです

 」菅沼が書類を差し出した。

 宮岸はその書類を受けとり、レポートの表題を見て身体を硬直させた。

「これについて何か聞いてますか?」

 菅沼が訊ねた。

「いや、この件については何も」

 宮岸が答えた。

「この件はってことは、これ以外は筒抜けだったんでしょ」菅沼が微笑する。

「おぬしも勘が鋭いようだ」

 宮岸は否定することなく、

「腹の探り合いは、この業界の鉄則。お互い様だよ」とビールを口に運ぶ。

「そですね」

 菅沼は肯定して、「目を通していただけますか」と促した。

「ああ、いいとも」

 宮岸は住友が作成したレポートを読み始めた。

 その間、菅沼は前菜を食べながらビールを飲み、夏の美食を味わっていた。


「大臣。これは大臣の指示で?」

 宮岸が訊ねた。

「そうです」

 菅沼は否定することなく、

「一連の集団食中毒は不可解な点が多いと感じていたので、独自調査を依頼したことは事実です」と認めた。

「で、この調査結果のレポートを確認して『ヤバい』と思い、今日、この席を設けた」

 宮岸は身を乗り出して、

「まあ、そんなところだろう」と告げてビールを飲み干した。

「ええ、その通りです。これが公表されでもしたら、日本の政治が吹き飛びます」

 菅沼は宮岸のグラスにビールを注いだ。

「このレポートに記載されているドンとコネクションを持っている政治家は、数え切れないほど存在しており、これまでに莫大な利権のうま味を存分に吸い上げた者も大勢おります。特に、長きに渡り、単独政権を保持してきたみなさんは、相当おいしい思いをしたことでしょう」

 菅沼は忖度することなく、自由守護党の裏側に踏み込む。

「さらに、裏社会と・・・」

 菅沼がさらに話を進めようとしたタイミングで、

「大臣、まあまあ、そのぐらいで」宮岸が止めて、

「利権や裏社会なんぞは、与党も野党も同じようなもんだろ」と言う。

「そうです。政治家と利権、裏社会は切っても切れない関係です」

 菅沼は肯定して、

「私が言いたいのは、このレポートでは、これから動き出す新空港事業の莫大な利権について言及されいること、これがかなり危険だということです」と、このレポートの危険性を強調した。

「わしも同意見だ。この新空港事業については、来年には政府予算に組み込まれ、正式に動き始めるだろう。だが、それは表向きのことで、すでに裏では動いている。これをリークするようなレポートなど断じて公表してはならん」

 宮岸が口調を強めた。

「そのレポートは会長にお預けします。あとは、会長の裁量にてご自由に」

 菅沼は住友のレポートを宮岸に託した。

「承知した」

 宮岸は受理し、

「それで、この見返りは何かな?」と訊ねた。

「現在、カイワレの件で抗議が殺到しておりますが、9月に予定している最終報告でもカイワレを集団食中毒の原因食材として押し通します。なぜなら、今回の食中毒でカイワレからO157が検出されたことは紛れもない事実だからです。どのような経緯でカイワレが汚染されたのかは別問題であり、カイワレが汚染されていたという事実は、変わることはありません」

 菅沼は自分の意思を伝える。

「この事実を隠蔽することはできません。ですが、これによりカイワレ業界は大きなダメージを被り、窮地に追い込まれる可能性が高いと考えていて、すでにカイワレ外しが始まっており、速やかに救済支援を講じる必要があります。我が新党は、連立政権に参政させていただいておりますが、なにぶん小さな党で、我々だけで物事をおし進められる力はありません。そこで、カイワレ業界の救済支援が速やかに、かつ、円滑に進められるようにご協力を賜りたいと考えており、そのためにも、会長のお力添えをお願いしたくこの席を設けさせていただいた次第です」

 菅沼は宮岸に頭を下げた。

「ほう、大臣もなかなか芯が強いのう」

 宮岸は感心した表情を浮かべて、

「よし、その役目、引き受けよう」と承諾した。

「元総理大臣、よろしくお願いいたします」

 菅沼は再度頭を下げた。

「さあ、大臣。頭をあげて」

 宮岸が菅沼に声をかけて、

「改めて乾杯しよう」と促した。

 菅沼は頭を上げて、宮岸のグラスにビールを注ぎ、そのまま自分のグラスにも注いだ。

「大臣。おぬしとは気が合いそうじゃ。これからもよろしく」

 宮岸がグラスをあげ、

「こちらこそです」

 菅沼もグラスをあげた。

 かくして、赤坂での密会により、住友のレポートは闇に葬られた。


 カイワレは被害者である。

 意図的に仕組まれたO157集団食中毒多発テロ事件の真相は闇の中に葬られ、首謀者と実行犯、その存在さえも世に知らされることなく、終息に至ったのである。


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この物語はフィクションです


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