INTERNATIONAL vol.13
- 夢見操一

- 12月15日
- 読了時間: 8分
INTERNATIONAL
(22)
1996年7月25日。
堺市の学童集団食中毒発生から10日余りが過ぎても、集団食中毒の余波が居座り続けていて、快晴であるにも関わらず、重苦しい空気が漂っていた。
インターナショナル堂楽園ホテルの鉄板焼きでは、ランチタイムの準備が整い、開店時刻を待っている状態だった。
今週の月曜日(22日)からホテル観光専門学校の学生の現場研修が始まり、このホテルでも数人の学生を受け入れていた。
その学生の1人、筒井素子(ツツイモトコ)1年生が鉄板焼きで研修することになり、主として坂井琢朗が筒井の担当を受け持つことになった。
だが、鉄板焼きは焼き手がメインであもり、接客しながら客の目の前で調理をするという業務については、篠崎啓二に説明してもらうことにした。
篠崎に依頼した理由は、シェフの窪田誠司は真面目を絵に描いたような性格で、専門学校に入学してまだ4ヶ月にも満たない女子学生にはちょっと固すぎる。
また、スーシェフの川崎紀夫に依頼した場合、鉄板焼きではなくパリ・タイユヴァンの武勇伝を熱く語る可能性がかなり高いという懸念材料があり、篠崎なら冗談を交えて笑いをとりつつ業務の説明ができると判断したからである。
初日は、筒井にランチタイムの営業中の様子を見学してもらうだけに留めて、2日目から少しずつ基本的なサービスの実践を行い、研修期間中の体験が筒井の将来に役立つようにと考えながら研修を行うことにした。
3日目の昨日は、ランチタイム終了後、篠崎に筒井を預けて、接客しながら客の目の前で調理するという焼き手の業務について説明してもらった。
そして、4日目の今日、ランチタイムが始まる時刻になっても、筒井は現れなかった。
坂井は、筒井が体調を崩したのか、何かアクシデントに遭遇したのか、心配していた。
結局、筒井は姿を現すことなく、ランチタイムが終了した。
そのタイミングを見計らってのことだろう。
坂井は武田勇に呼ばれて、統括部長の部屋に降りた。
「坂井、おまえ何かしたんか?」武田がいきなり尋ねた。
「どういうことですか?」坂井はこの状況が理解できない。
「あの研修生な、部屋に閉じ籠もったまま出でこんらしいんや」武田が言う。
「えっ・・・」坂井にはまったく理解できない。
「なんや、怖いとか恐ろしいとか、いうてるそうやど」武田の口調が強くなる。
「はあ・・・」坂井にはまったくわからない。
「おまえ、何やらかした? 正直に言え!!!」武田の怒りが爆破しそうな口ぶりである。
「ほんとに何もやってませんよ」坂井は何度も首を振った。
「ほんなら、誰がやらかしたんや?」武田が尋ねる。
「あっ!」坂井は篠崎と筒井を二人きりにさせたことを思い出して、
「鉄板焼きに戻って確認してきていいですか?」と武田に伺った。
「心当たりあるんやな。行ってこい」武田がそう告げると、
「はい。さっそく」坂井は急いで鉄板焼きに戻った。
「篠崎さんはどこですか?」坂井は鉄板焼きに戻ってすぐに窪田に訊ねた。
「まだ、厨房におるけど・・・」窪田は厨房を見て言う。
「篠崎さん」坂井は篠崎を呼びながら厨房に近づいた。
「なんか用か?」篠崎が厨房から出てきた。
「昨日ですけど、研修生に何を話しました?」坂井が訊ねる。
「ああ、業務の説明と・・・」篠崎は昨日を振り返るに頭に手を当てて、
「あとはくだらん冗談だけやけどな」と答えた。
坂井は「もしかして」と篠崎のいきすぎた冗談に嫌な予感を感じた。
(23)
1996年7月24日(篠崎啓二の振り返り)
ランチタイムが終了し、筒井素子は片付けをしていた。
身長158cm、日本人女性の平均的な体型で、面長でシャープな顔立ちで大人っぽい
落ち着いた印象を持ち、長めの髪を頭の後ろで束ねてポニーテールにしている。
白のブラウスと黒のパンツ、黒のエプロン、黒のパンプス、という研修生用のユニフォームを着用していて、左胸の名札に「研修生」と記されている。
坂井琢朗が筒井に近寄り、「これから営業企画部に行ってくる」と声をかけた。
筒井は振り向いて、「わかりました」と答えた。
「この後、篠崎さんが焼き手の仕事について説明してくれるからね」坂井が言う。
「はい、楽しみにしてます」筒井は明るい表情で返事した。
坂井は「篠崎さん、よろしくお願いします」と厨房の中にいる篠崎に合図を送った。
坂井が鉄板焼きを出るのと同時に、篠崎が厨房から出てきた。
篠崎はブラウンに染めた長い髪を頭の後ろで束ねてコック帽子で隠している。
口ひげを生やしていて、休日はアウトドアを楽しんでいるのか、よく陽に焼けている。
誰とでも気さくにしゃべる性格なのは良いが、行き過ぎて裏目に出ることも多い。
筒井は、そんな篠崎を見て、ホテルの従業員とは思えなかった。
「筒井君、やったね」篠崎がAカウンターに立ち、筒井に声をかけた。
「はい、よろしくお願いします」筒井が丁寧に頭を下げた。
「さぁ、中に入って」篠崎が筒井を促す。
「入ってもいいんですか?」筒井が躊躇した。
調理人にとって厨房はサンクチュアリ的な位置づけであり、調理人以外のスタッフに足を踏み入れて欲しくないという意志を誇示していても不思議ではない。
鉄板焼きのカウンターも厨房と同じだと、筒井が思って当然であろう。
篠崎は筒井の心情を汲み取って、「そんなに気にせんでもええよ」と伝えて、
「さぁ、気楽にやろう。気楽にやれば何でもできる」と冗談を放った。
確かにそうかも知れない。だが、なんでも気楽にできる世の中ではないことぐらい、
まだ未成年の筒井にでもわかるのだ。
筒井は篠崎に促されるままカウンターの中に入った。
「どうや、景色が変わったやろ」篠崎が言う。
「目の前に座ってる客たちから浴びせられる期待を一身で受け止めるちゅうこと、そして、その期待に応えるだけやない、さらにその上をいくんが、この鉄板焼きの優れた実力なんや」と篠崎が左右の拳に力を込めて筒井に言う。
こうなったら篠崎の独舌は止まらない。篠崎劇場の幕があがったのだ。
筒井にとって、ここが初めての現場研修であり、見た目とは真逆と思える篠崎の熱弁に心を揺さぶられてしまっていたのだ。
篠崎は、客がカウンターの席に座ってから食事を終えて退席するまでの作業の流れを丁寧に筒井に説明した。
「まあ、こんな流れやけど、理解できたかな?」篠崎が筒井に訊ねた。
「はい、大体は」筒井は頷いて、「でも、実際に調理するのは難しそうです」と言う。
「そやそや。腕を磨かなできへんな」篠崎は右腕を曲げて、左手で上腕部を叩いた。
「料理の職人もいいですね」筒井は笑みを浮かべた。
「ところで、ホテル観光専門学校に入学したんは、やっぱりホテルマンに憧れてか?」
篠崎が話題を変えて筒井に訊ねた。
「はい、ホテルのドラマを見て、なんかいい仕事だなと思いました」筒井が答えた。
「そうか、ドラマの影響ちゅうことか。まだ先やけど、希望のホテルあるんか?」
篠崎は筒井が興味を持っているホテルについて訊ねた。
「いえ、まだです。でも、このホテルもいいなって感じてます」筒井が答えた。
篠崎は、筒井の答えに一瞬表情を曇らせ、ひと間おいてから、
「実際、ホテルってな。ドラマのようなキレイな仕事やないで」と話し始めた。
筒井は篠崎の表情の変化に気づいたが受け流して話しを聞いていた。
「表向きは、紳士淑女気取りで接客して、裏ではえげつないことやっとる奴もぎょうさんおる。ロッカールームなんか酷いもんやで。ちょっと油断しただけですぐにカネが持ってかれる。まあ、これは可愛いもんで、その日の売上金が消えることなんかざらにあるんや。これだけやないで、自分の出世ためなら平気で他人を蹴落とし、協力してるふりして気に入らん奴を罠に嵌める・・・」
篠崎は筒井にホテルの内情を暴露するだけでなく、
「こんなんはどこのホテルでも同じようなもんやけど、このホテルはもっと怖いで。ホテルの裏に秘密の組織ちゅうのがあって、かなりヤバいことやっとるそうや」と闇組織の話まで持ち出した。
「えっ、そんな組織があるんですか?」筒井が驚いて訊ねた。
「そやで。得体の知れん組織で、この組織の秘密を知ってもうた奴は消されて、行方がわからんようになった奴もおるようや」篠崎は真剣な眼差しで話す。
「なんか怖いです」筒井は表情を曇らせた。
「そや、ほんまに怖い組織や。筒井君も今日の帰り道、気いつけなあかんで」
篠崎は大袈裟に言う。
「なんで、ですか?」筒井は怖々と訊ねた。
「そりゃあ、秘密の組織の存在を知ってもうたからやね。帰り道で組織の連中に狙われるかも知れんからな。ほんま、気いつけや!!!」
篠崎は筒井を案ずる表情を浮かべて、筒井は絶句して首を振った。
「冗談やって。まさか、ほんまや思た?」篠崎が笑って、
「なんだ、もう、びっくりさせないで下さい」筒井は苦笑いを浮かべた。
(24)
坂井琢郎は篠崎啓二から昨日の話を聞いて、
「その秘密の組織って何ですか?」と呆れ顔で訊ねた。
「そやから、冗談やって。ちょっと脅かしたろ思てやな・・・」篠崎は笑みを浮かべる。
ーー筒井はこの春に高校を卒業したばかりだぞ。専門学校に入学して最初の現場研修でこんな話を聞かされたら、嫌な気分にもなるだろう!
坂井は心内でそう思うが、口には出さず、
「篠崎さん。すみませんが、部長に報告しないといけないんで、一緒に来てもらっていいですか?」と篠崎を促した。
「ええよ」篠崎の口調はとても軽い。
ーーこの人、事の重大さがわかってないんだ! 坂井は心内で嘆きながら、
「行きましょう」と篠崎を連れて武田勇の所へ向かった。
坂井から昨日の報告を受けた武田は、「そういうことか・・・」と腕を組んで俯いた。
坂井の横に立っている篠崎は、武田の様子を覗いながら神妙にしている。
「で、坂井はどうするつもりや?」武田が訊ねた。
「これから、謝りに行こうと思ってます」坂井が即答した。
「そうか、分かった。それなら・・・」武田は篠崎を見て、
「篠崎とわしと二人だけで謝りに行こう」と言った。
「えっ、僕も行きますけど・・・」坂井は自分が外されたことに戸惑いを感じた。
「坂井。おまえは現場に戻って、自分の業務に専念してくれ」武田が促した。
「分かりました。あと、よろしくお願いします」坂井は頭を下げて部屋を出た。
武田は篠崎の顔を凝視している。篠崎の顔がこわばっている。
坂井の足音が遠ざかると、「アホか! おまえが消されるぞ!!!」武田が冷徹に告げた。
「申し訳ございませんでした」篠崎が深々と頭を下げた。

この物語はフィクションです


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