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INTERNATIONAL vol.12

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月15日
  • 読了時間: 8分

INTERNATIONAL


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 1996年7月11日、近畿地方の梅雨明けが発表された。

 この年の大阪は、6月7日に梅雨入りした後、しばらく雨の日が続き、6月中旬に梅雨の中休みで夏日となり、その後、梅雨空が戻り、月末までに3日ほど大雨の日があったが、それ以外は、湿度が高くて気温も高い日が続き、日中の最高気温が30℃を超える日もあった。

 7月に入ると雨の日は少なく、梅雨明け間近と感じられるようになり、とにかく蒸し暑い日が続いていて、梅雨最後の雨の日に、一時的に気温が下がったが、その後、気温が上昇し、昨日(10日)は真夏日になっていた。

 この梅雨の期間、梅雨入り前の5月下旬からO157による集団食中毒が全国各地で、立て続けに発生し、厚生省は食中毒防止対策を促し、メディアもこの異例とも言える食中毒の連鎖に注目し、O157による集団食中毒について大きく取り上げていた。

 インターナショナル堂楽園ホテルでも、飲食店舗と宴会場に関わるスタッフたちに食中毒防止対策の徹底を指示して、特に調理に携わるスタッフにはかなり厳しく喚起を呼びかけていた。

 坂井琢朗がこのホテルに入社してから、O157による集団食中毒の報道を見る度に、やはり食中毒は怖いな、と食品衛生を意識して、気を抜かないように心がけていた。

 そして、1996年7月13日午後5時30分、大阪府堺市のプレス発表に巷は騒然となった。大規模な学童集団食中毒が発生し、深刻な病床不足で大混乱状態であること、さらに、現在、食中毒の原因は不明と発表された。

 これを受けて、このホテルの統括部長の武田勇が各部署に連絡し、改めて食中毒防止対策を徹底するように指示を出した。

 坂井は鉄板焼きのシェフの窪田誠司に伝達し、焼き手たちと協力して、急いで再点検と殺菌消毒などを施したのだった。

「原因不明って、いや、間違いなくO157やろ。なんせ今が旬やからな」

 篠崎啓二がいつものように余計なことを言い始める。

「いや、大規模ってなると、黄色ブドウ球菌も考えられるな」窪田は真面目に言う。

「確かにヤツも危険。加熱殺菌しても毒は消えんから」川崎紀夫は窪田に同意する。

 調理師ともなれば、食中毒にはかなり敏感で、食中毒を引き起こす病原菌のことをよく理解していて、もちろんO157のことも知っている。

 主として牛肉を取り扱っている鉄板焼きの焼き手であれば、当然のことなのだろう。

 坂井は口を挟まずに、焼き手たちの会話を聞いていた。

 若手の加藤光輝は厨房で前菜の準備に取りかかっていた。

「そろそろ予約の客が到着する時間だ。スタンバイしよう」と窪田が促した。

 篠崎がBカウンターに入り、川崎は厨房に入った。

 坂井は鉄板炊きの入口に立ち、予約の客を迎える態勢を取った。



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 1996年7月13日午後6時。

 厚生政務次官の住友博史(スミトモヒロシ)は衆議院議員宿舎を出て、厚生大臣を務める菅沼尚人(スガヌマナオヒト)のもとへ向かっていた。

 住友は自優守護党の宮岸派に属していて、宮岸派代表の宮岸善正の秘書を務めた後、1990年の衆議院議員総選挙で初当選を果たし、宮岸派に入会している。

「会長。厚生大臣から呼び出しを受けて、大臣のもとへ向かっていますが・・・」

 住友はほぼすべての事案において宮岸に報告し指示を仰いでいた。

 阪本竜蔵内閣は連立政権で、竹山正義(タケヤマセイギ)が代表を務める竹山新党の菅沼を厚生大臣に任命していた。

 これは3党による連立政権樹立合意の条件の1つとして竹山新党が強く要請したことで、菅沼を筆頭に薬害エイズ事件の真相解明に取り組むチームを結成する目論みもあった。

 阪本内閣総理大臣は、菅沼厚生大臣の下に政務次官として住友を配置した。

 これは菅沼の動きを監視して牽制するためで、連立政権とは言え、自優守護党として他党に成果を持っていかれることを避けたいという心情の表れだった。

 だが、菅沼は1996年1月23日に薬害エイズ事件の真相解明チームを結成し、直ちに調査を開始し、わずか3日で厚生省の隠蔽の証拠となる「極秘ファイル」に辿り着き、2月9日、厚生省の隠蔽を白日の下に晒すというウルトラCをやってのけた。

 自優守護党にとって、菅原の功績は屈辱でしかなく、素直に喜べるものではなかった。

 住友はPHSで宮岸から指示を受けながら、菅沼の事務室へ向かっていた。

 厚生省では、5月28日にO157による集団食中毒が発生してから、立て続けに各地で同様の集団食中毒が発生している状況を踏まえて、O157に関する研究チームを設置し、7月1日に会議を実施して今後の対策などを協議していた。

 その後、7月5日に同様の集団食中毒が発生し、今日も集団食中毒発生の連絡が入った。

 厚生事務次官から堺市で発生した学童集団食中毒発生の連絡を受けた菅沼は、すぐに政務次官の住友を呼び寄せた。

 住友は宿舎に戻っていたため、到着に時間を要している。

 堺市は混乱の渦の中で右往左往を強いられていて、迅速でかつ的確な対応ができない状況下に置かれている。

 菅沼は、至急、厚生省から担当官を派遣するよう、指示をだしている。

 その人選は厚生省に任せて、菅沼は大臣として今後の対応について考えていた。

 菅沼の脳裏に薬害エイズ事件の真相解明の功績が蘇り、

「よし、ここでも一発決めてやろう」とウルトラCを模索し始めていた。

「失礼いたします」秘書の前田飛鳥(マエダアスカ)が入ってきて、

「政務次官が到着されました」と菅沼に伝えた。

「通せ」菅沼が促すと、「大臣、お待たせいたしました」住友が姿を現した。

 菅沼は「まあ、かけたまえ」と住友を促す。

「失礼いたします」住友がソファに腰掛けて、菅沼と向き合った。

「O157、厄介なことになりそうだな」菅沼が切り出す。

「プレス発表を見ていましたが、まだ原因不明で、現状は厳しいですね」と住友が言う。

「これまでの経緯から考えても、O157で決まりだろう」菅沼はO157と決めつける。

「今の現状で原因不明ということは、初動に問題があったのではないか、と疑います」

 住友は初期の段階でミスを犯していると指摘する。これは山岸からの入れ知恵だった。

「そうか。もしそうなら、また隠蔽するかもしれんな」菅沼は厚生省を信用していない。

「そうなら、今回も隠蔽の証拠を掴んで白日の下に晒せばよいのでは」住友が促す。

「いいこと言うね」菅沼はエイズ薬害事件での武勇伝を噛みしめている。

 住友が宮岸の指示でそう仕向けているだけだが、菅沼は自らの功績に酔い痴れている。

 栄華を極めた者は再び栄華を求めるというように、まさに菅沼もその心境であった。

 7月13日は土曜日、もともと小学校が休日で、児童の保護者と学校側との連絡がとれないという事態も発生し、集団食中毒による混乱に拍車がかかっていた。

 結局、救急医療情報センターを中心に堺市学童集団食中毒対策本部、堺市医師会、大阪府医療対策課、大阪府医師会の連携が整ったのは翌日の7月14日で、学校側と児童の保護者との連絡もとれるようになり、集団食中毒の状況が徐々に明らかになっていった。

 そして、7月14日午後5時の堺市のプレス発表により集団食中毒の患者からO157が検出されたことが明らかにされた。

 そもそも体調不良を訴える児童が現れ始めたのは7月11日からのことで、当初、小学校の校医と堺市教育委員会は、この体調不良を「夏風邪」によるものと判断して、堺市の保健所に連絡しなかったという。

 この初動時の判断ミスが大混乱を招いたことは事実である。

 菅沼はこのO157による集団食中毒を好機と捉えて、堺市の集団食中毒が一段落ついた後の動きを模索していた。

 堺市の後、またどこかで同様の集団食中毒が発生する可能性が高いと予測し、それを食い止められる対策として、具体的に何が必要なのか、を検証するに当たり、まず「O157と食中毒」に関連する情報を数多く入手することにした。

 菅沼はその情報収拾を住友に指示した。

「大臣がおっしゃる通り、集団食中毒の発生を未然に防ぐことが重要だと思います。ただ、偏った概念で情報収集しても、O157に関しては大した効果は得られないように感じます。あらゆる角度からO157に関連する情報を入手して検証することでO157による集団食中毒の発生を未然に防ぐ手段が見つかると思います。このことは厚生省には知られず、内密に情報収拾いたします」

 住友は強い意志を示し、「それでこそ政務次官だ」と菅沼が住友を称えた。

 だが、これも宮岸が住友に指示した通りの展開で、栄華を極めた者の心理につけ込み

巧みに操る宮岸マジックで、協力しているふりをして地雷を踏ませる魔術である。

 宮岸の狙いは、かつて内閣不信任案議決の際に賛成に投じた野党だけでなく、自優守護党の党員が反乱を起こして賛成に投じて、内閣不信任案を可決へと導いた奴らへの復讐に他ならない。

 過去を振り返っても、内閣不信任案が可決されたのは4回だけで、内閣総理大臣は1回と2回は重複するため、実質3人だけである。

 宮岸にとって、この屈辱は心の奥に刻まれ一生消えない憎悪の塊なのだ。

 住友は秘書時代から長らく宮岸に仕えていて、衆議院議員として今を生きていられるのも、宮岸の後ろ盾があるからである。

 住友は、宮岸という閻魔大王の補佐官として、身命を賭して自らの使命を全うする覚悟を持っていた。だが、菅沼はこの裏の話に気づいていなかった。


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この物語はフィクションです


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