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INTERNATIONAL vol.10

  • 執筆者の写真: 夢見操一
    夢見操一
  • 12月14日
  • 読了時間: 12分

INTERNATIONAL


(15)


 1996年6月6日夜。

 坂井琢朗は日本料理の洗い場で皿洗いをしていた。

 今日は、主任の大谷正彦が公休のため、坂井が日本料理のフォローに入った。

 状況を見ながら、鉄板焼きと日本料理を行き来することになる。

 そんな日に問題が発生した。洗い場のパートの女性が急病のため欠勤したのだ。

 今日は、座敷が全室予約で埋まっていて、サービススタッフを洗い場に配置することができない状況だった。

 そこで、坂井に白羽の矢が立てられたのだ。

 ーー洗い場か・・・何年ぶりだろう?

 坂井が大阪のホテルのアルバイトを始めたのは1986年の6月で、洗い場に配置された。

 皿洗いという下積みから立派なホテルマンに昇りつめようなんて思ってもいなかった。

 その当時は、言われたことをやるだけで精一杯だったことを思い出す。

 レストランと宴会場をたらい回しにされて、洗っても洗っても追いつかないほど、忙しい毎日だった。日本の経済が、バブル景気へ向かってまっしぐらという状況だったことを思えば、あの頃の忙しさは当然だったのだろうと納得できる。

 坂井は久しぶりの洗い場に懐かしさを感じながら、皿洗いに専念していた。


 さて、この日本料理はちょっと変わっている。

 店舗の入口のキャッシャーがあり、日本料理と鉄板焼き、そして、メインバーの会計管理業務を担っている。

 複数の店舗の会計を1つのキャッシャーで管理するスタイルは、他のホテルでもよく見かける。

 坂井が勤務していた泉佐野のホテルもこのスタイルだった。

 このスタイルの場合、レストランキャッシャーという部署の会計係が業務を担当する。

 だが、このホテルにはレストランキャッシャーという部署は存在しない。

 でも、いつもこのキャッシャーに立っている男性がいた。

 金沢公一(カナザワコウイチ)で66歳で、スラッとした長身で、白髪混じりの髪をきれい整えていて、黒縁のメガネをかけている。

 金沢は大谷や坂井と同じユニフォームを着用していて、見るからにホテルマンというイメージが定着していた。

 だが、金沢は基本的に接客をしない。多忙な時間帯に、来店された客を席に案内してくれることがあても、それ以外はキャッシャーに立ち続けている。

 日本料理も鉄板焼きも、さらにメインバーも、すべてテーブルで会計を行うため、客が直接キャッシャーに来て代金を支払うことは皆無である。

 金沢はいつもPOSレジの画面とにらめっこ状態で、退店する客に挨拶のひとつもしない。

 坂井は、この金沢という男性の存在が理解できず、不思議に思っていた。


 そんなキャッシャーから日本料理の店内に入ると、まっすぐ奥まで伸びる通路があり、数メートル進んだ右側にホールの入口がある。

 その入口を過ぎてさらに数メートル進むと、通路の右側に沿って座敷が3室並んでいる。

一番奥の座敷の対面、通路の左側に座敷が1室だけ設けられていた。

 ホールの入口まで戻ってホールに入ると、左側のガラス張りに沿って、4人掛けのテーブルが5つ設置されていて、さらに奥の壁の前に沿って、4人掛けのテーブルが2つ設置されている。

 ホールの奥に向かって右側は、床が一段上がり、10席のカウンターが設けられている。

 これが日本料理の客用のエリアで、全体的にゆったりしている。

 そして、店内に入って奥まで伸びる通路の左側が、サービススタッフのステーション、さらに、パントリーとデシャップの奥が厨房になっている。

 日本料理の店内レイアウトはこんな感じであった。


 日本料理のサービススタッフは、言うまでも無く、女将の沢口多恵子がトップで、沢口の部下に5人の女性スタッフが配属されている。

 ユニフォームは薄いピンクの着物で、生地に洋花小紋を散りばめている。

 クリームの帯にエンジの帯締めというセットで、上品な雰囲気を演出している。

 また5人ともに髪型は沢口を模倣したシニヨンで統一されている。

 最も古株の山口美香(ヤマグチミカ)27歳は、責任感が強く面倒見が良い性格。

 2番目は小林和美(コバヤシカズミ)26歳で、真面目だが引っ込み思案。

 3番目は進藤真弓(シンドウマユミ)24歳で、気が強くて負けず嫌い。

 4番目は木村幸子(キムラサチコ)23歳で、なぜか存在感が薄い。

 最年少は内田彩(ウチダアヤ)21歳で、元気ハツラツ、アイドルも顔負けレベル。

 坂井は、沢口の部下が全員20代という極端すぎるメンバー構成に驚くばかりで、個人の店ならともかく、企業として有り得るのだろうかと疑問を抱いていた。


 続いて、日本料理の調理スタッフ、俗に言う板前さんたちを紹介しよう。

 坂井は急遽日本料理の洗い場に立つことになった。

 洗い場は厨房の中に設けられていて、デシャップの延長線上の端の一画に使用済みの食器などが下げられてくる。

 ここからシンク、洗浄ラック台、洗浄機、洗浄ラック台の順に設置されている。

 洗浄機はガス式で、カバーを上下させて開閉するタイプだった。

 まず食器などをシンクで手洗いし、洗浄ラックに収め、スライドさせて洗浄機にセットし、カバーを下ろして、スイッチを押す。

 洗浄機が作動し、設定は洗浄からすすぎ完了まで60秒だった。

 洗浄機が作業を停止したことを確認して、カバーを上げ、洗浄済みの洗浄ラックをシンクとは反対側の洗浄ラック台へスライドさせる。すすぎ湯が高温のため、水気はすぐに蒸発し、少し残った水気をキレイに拭って、所定の場所に収める。

 坂井は、皿洗いのアルバイト時に、何度もこのタイプの洗浄機を使ったことがあった。

 日本料理に使用される食器類は種類が多く、形状やサイズもバラエティに富んでいる。

 そんな食器類を巧く洗浄ラックに収めることが大事で、小さいからと言って詰め込むと、洗浄力によって破損することもある。坂井は、昔の経験を糧にして皿洗いをしていた。

 坂井は、この機会を利用して、調理スタッフの様子をさりげなく観察していた。


 板前の花形と言われる板場を担当しているのは、立花修吾(タチバナシュウゴ)32歳、

身長170cmほどでスラッとした体型で、黒のパンツに七分袖の白衣、白のエプロン、白の和帽子を身に纏い、クッションが効いて動きやすい黒花緒の雪駄を履いている。

 当然のことだが、今この厨房にいる調理スタッフ全員がこの格好で仕事をしている。

 立花は、色白で鼻筋が通り、キリッとした目と眉、小さめの口、白衣姿がよく似合う色男で、調理スタッフだけでなく、サービススタッフにも気を配っている。

 板前は厳しくて頑固者が多いというイメージとは異なる雰囲気を持っていた。

 続いて、蒸し場を担当しているのは、飯島陽介(イイジマヨウスケ)31歳、身長167cmで肉付きのよい体型で丸顔、目はやさしく朗らかな雰囲気を持っている。

 板前のキャリアは、立花とほぼ同じで、立花が公休の日は、飯島が板場を担当している。

 続いて、焼き場を担当しているのは、石垣創(イシガキハジメ)28歳、身長176cmで調理スタッフで最も長身でガッチリした体型、野球少年で甲子園を目指していたが、夢は叶わず仕舞いで、高校を卒業した後、日本料理の板前の門を叩いた。

 野球で鍛えた根性だけで、のし上がってきた有望株である。

 実は、鉄板焼きの加藤光輝は野球部の後輩で、石垣が高校を卒業した後、加藤が入学し、野球部に入部した。

 この2人の違いは、石垣は野球部のレギュラーでキャプテンだったが、加藤は万年補欠だった。石垣はこのホテルの従業員で草野球チームを立ち上げ、加藤もメンバーの1人として、この野球チームに協力している。

 続いて、高橋浩三(タカハシコウゾウ)と吉川駿一(ヨシカワシュンイチ)の若手を紹介しよう。

 高橋は24歳で、吉川は20歳だが、ここでは同期である。

 高橋は大学を卒業した後、商社に就職したが、まったく役に立たず上司や先輩に迷惑をかけてばかりで、会社から完全に干されてしまった。

 自身の居場所が無くなったことに気づいた高橋は、商社を退職して板前の門を叩いた。

 高橋は商社マン時代に顧客の接待で利用していた高級料亭の板前の巧みな技に惹かれて自分も挑戦してみたいと思ったからである。

 一方、吉川は高校を卒業した後、調理師学校に入学し、1年制の課程で調理師の免許を取得して、卒業後、日本料理希望でこのホテルに入社した。

 2人ともキャリアは丸1年を過ぎて、現在、八寸場を担当しているが、プロ意識に欠けているのか、そもそも板前になる素質がないのか、この2人の教育を任されている石垣は、毎日のように歯がゆい思いをさせられ、怒りを超えて呆れる始末である。

 高橋は調理に関してまったくの素人で、吉川はただ調理免許を取得する目的だけで調理師学校に入学していたため、実際に調理の現場に立ってみると、ほぼ役に立たないレベルだったのだ。


 坂井はそんな調理スタッフの仕事ぶりを観察しているが、板長の姿が見当たらない。

 デシャップから調理スタッフたちに、各座敷の状況を伝え、指示を出しているのは、女将の沢口多恵子だった。

 調理スタッフもサービススタッフも若く、みんな沢口を信頼しているように感じられて、沢口が若いスタッフを従えて、この日本料理を切り盛りしている。

 坂井はそう思った。

 突如、板長の権藤哲也(ゴンドウテツヤ)60歳が厨房に入ってきた。

 人相は、丸刈りでしかめっ面が板に付いた頑固一徹、白衣ではなく全身ブラックでコーディネートした、とにかく近寄りがたい空気を放ちまくっている。

 権藤は厨房を見回りながら、調理スタッフたちそれぞれに声をかけている。

 大きな声を出すことはなく、小声でなにかを伝える感じである。

 権藤が厨房に入ってきた時、沢口はサッとデシャップから離れた。

 沢口なりに権藤に気を使っているのだろう。

 権藤は調理スタッフ全員に声を掛けると、厨房から出て行った。

 厨房を出てすぐ左側に板長の部屋があり、机と椅子、パソコン、調理関係の資料がある。

 通常、権藤はここで献立を考えたり、食材の仕入れや原価、売上と対費用効果など分析しながら過ごしている。

 厨房は若い調理スタッフに任せるという、割り切った決断をして、それを貫いているようにさえ感じられた。

 いつの間にか、沢口がデシャップに戻っていて、調理スタッフに指示を与えている。

 坂井は洗い場に入ったことで、今まで見えていなかったことが見え始めたと感じた。


 さて、ここでもう1つの調理場について触れておこう。

 日本料理のホールにはカウンターがあり、調理スタッフが2人配置されている。

 佐藤正(サトウマサシ)30歳と川口好男2(カワグチヨシオ)25歳である。

 佐藤は板場の立花と背格好がよく似ていて、笑顔で接客している姿に好感が持てる。

 川口は身長160cmの小柄の体型で、笑顔で接客しながらテキパキと仕事をこなしている。

 身に付けているのは、濃紺の作務衣と濃紺の和帽子、黒のパンツと黒のエプロン、そして、下駄を履いている。

 さらに、作務衣の左胸にはロイヤルフーズのロゴが入っている。

 この2人は寿司職人で、このホテルの正社員ではない。

 大阪の繁華街で超高級寿司店を展開するロイヤルフーズから派遣されている職人で、社長の竹井がこの超高級寿司店を気に入り、ロイヤルフーズと契約して寿司職人を手配してもらっているのだ。


 インターナショナル堂楽園ホテルがリニューアルする以前は、日本料理にカウンターは無かった。

 リニューアルの際に日本料理にカウンターをつくり、リニューアルオープン直前にロイヤルフーズの寿司職人がやってきて、開業準備を始めた。

 社長の竹井から何も聞かされていなかった権藤は、当然のごとく竹井に抗議したが、あまり抗議に執着し過ぎると、当時のフランス料理のシェフのようにこのホテルから身を引かざるを得ない状況に追い込まれるのだ。

 権藤はそれを避けるために、抗議を取り下げ、寿司職人にカウンターを任せて、一切口出ししないことに決めた。

 さらに、日本料理の厨房を若い調理スタッフに任せて、権藤自身は板長の部屋に籠もって、まるで隠居生活を送る老人のように、静かに過ごしているのであった。

 坂井は、沢口がこの日本料理の纏め役を買って出た理由は、これなんだろうと察した。


 日本料理のディナータイムは問題なく終了した。

 客が引いた現在、厨房では調理スタッフがそれぞれの持ち場の片付けや明日の段取りに精を出していた。

 坂井も洗い場で食器類などの洗浄を続けていた。

 サービススタッフたちは、ホールと座敷の片付けと清掃を行い、カウンターでは、寿司職人が片付けと明日の段取りを始めていた。

 そんな中で、沢口が「坂井君。おかげで助かったわ。ありがとう」と声をかけた。

「いえいえ、こんなこともあるでしょうから、何でも言ってください」坂井が答える。

「明日、ウチが部長に報告して、洗浄スタッフの補充を頼んどくさかいな」沢口が言う。

 慢性的な人材不足の影響は、これからも出て来るだろう。坂井はそう思った。

「ところで、坂井君」沢口が話題を変えて、

「このホテル、外資系やってこと知っとる?」と坂井に訊ねた。

「そうなんですか・・・」坂井は外資系と聞いて、違和感を覚えた。

 坂井は、初めてインターナショナル堂楽園ホテルを訪れた時も、入社した後も、このホテルが外資系だと感じたことはなく、今でも外資系というイメージさえ浮かんでこない。

 このホテルの経営母体は、株式会社日本都市開発クリエイトで、この社名からも外資系とはとても思えなかった。

 だが、坂井は、「あっ、そうか、インターナショナルって謳ってますもんね」と半信半疑のまま納得しようとした。

「ふふふ」沢口は含み笑いで、「まあ、そうやね」と言って、

「まあ、とにかく今日はありがとう」と坂井に礼を伝えて、ホールの方へ向かった。

 坂井は一方的に外資系の話題が打ち切られたように感じて、違和感が増幅していく中で皿洗いを続けて、最後に洗浄機内を清掃して皿洗いの作業を終えた。


 坂井はようやく鉄板焼きに戻った。すでに客の姿は無かった。

「坂井、今までどこにいたの?」鉄板を磨いている窪田誠司が坂井に気づいて訊ねた。

「洗い場にいました」坂井が答えると、

「えっ、なんで?」窪田が目を大きく開いて訊ねた。

「洗い場のパートの人が急病で、代わりがいないんで、僕が皿洗いしてました」

「おい、それ、誰に頼まれたんや?」窪田がまるで尋問するように訊ねる。

「女将に・・・」坂井は正直に答えた。

「マジか!!! なんなんやそれ!!! ふざけるな!!!」

 窪田は声を荒げて首を振り、そのまま厨房の中に入ってしまった。

 ーーうわっ、激怒してる・・・坂井は、なんだかヤバい状況になったと感じた。

 窪田の怒り爆発により、坂井を包んでいた違和感「外資系」が吹き飛んだ。

 坂井は鉄板焼きと日本料理との関係が気がかりで、外資系のこと忘れてしまっていた。


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この物語はフィクションです


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